ニート、大人の社会を垣間見ること

 ネタを振っておきながら、またまた時間が経ってしまったが、熱帯魚編を再開したいと思う。前回は、なんだかよく解らないディスカス屋さんと知り合いになったところまでお話しした。今回は、その続きを述べたい。

 私の近所に突然現れたディスカス屋さんは、2000万円もの巨費を投じて開業したものの、経営コンセプトが全然現実的ではなく、おまけに店主さんは一度も熱帯魚を飼育した事がないという、おとぎ話のようなものであった。当然、このような店にお客さんが来るわけもなく、開業1ヶ月で瞬く間に店主さんの自信と意欲が削がれて行った。おそらくは店主さん夫婦の心細さから、私は妙に歓待されるようになり、勢い、繁々と足を運ぶ事になった。

 そもそも私が疑問に思ったのは、一度も熱帯魚を飼育した事がないのに、どうしてディスカス専門店など始める事になったのか?と言う事であった。この疑問が抑えきれなくなった私は、ある時思いきってその疑問を店主さんにぶつけてみた。すると、店主さんは、”私は元々、とあるスポーツ選手でね。現役を引退した時のタニマチさんが熱帯魚問屋の社長だったんだよ。その問屋さんの勧めで退職金を元手に始めたのさ。”と答えてくれた。

 私は、この返答を聞いた時、一気に私の知らなかった世界が目の前に現れた気がした。第一に、スポーツ選手が引退をすると退職金が出ると言う事を知った。それまで、私の思い付くスポーツ選手=プロ野球選手であり、彼等と退職金が結びつかなかったのである。その疑問を店主さんに伝えると、”スポーツ界では野球選手が特殊であり、ほとんどのスポーツ選手は企業か、あるいは協会に所属するため退職金があるんだよ。”と教えてくれた。第二に、野球と相撲以外にタニマチが存在するのか、と訊ねると、”世の中のスポーツ選手にはまずタニマチがいるものだよ。マイナーな男子スポーツでもほぼタニマチは付くけど、女子スポーツなど大変なものだよ。”という返答が返ってきた。

 要するに、店主さんは現役の時のタニマチがめんどうを見てくれると言うのでディスカス屋さんを始めたと言っているわけであった。しかし、この話を聞くと、どうしても根源的な疑問が生じてくるのである。と言うのは、問屋さんならば、この店が成功するかどうかが解りそうなものではないか?親切な問屋さんが、どうして何もアドバイスを与えないのか?さすがに、店主さんに”どう見ても成功しそうにない経営法を執っているのは何故ですか?”とは聞けないので、それとなく、”問屋さんは経営についてどんなアドバイスをくれるのですか?”と訊ねてみた。すると、店主さんは、どう答えたか?それについては次回に述べたいと思う。 

ニート、ディスカス屋さんに出入りすること

 前回は、あるディスカス専門店に私が出会った話を振った。今回は、このお話についてじっくりと述べたい。

 前回お話したように、当時若くて無鉄砲であった私は、熱帯魚屋と思われるショップにはほとんど売り込みに出かけた。ある日のこと、自宅から程近い場所にディスカス専門店ができたらしい、という話を聞きつけ、早速売り込みに出かけることにした。行ってみると、いかにもお金をかけて開業したと思われる、大変に贅沢な作りのショップであった。ちなみに、ショップの開業資金はまず場所、建物の立派さ、売り場面積、次いで内装、そして品揃えによってほぼ推定ができるのだが、そのショップの場合、どう少なく見積もっても1000万円は下らないと推定できた。”ずいぶん気合の入ったお店だな”と私は思った。店内では、店主さんの奥さんと思われる40がらみの女性が一生懸命掃除をしていた。一通り客のふりをしてぴかぴかの店内を見回すと、すぐにその店が極めてアンバランスなことに気がついた。というのは、販売されているディスカスはすべてがブランドディスカスで大層な値段が付いているのだが、器具の値段は異常に安かったからである。どう考えても、卸値だろうと思われるような価格である。一通り店内を物色した後、なんだか狐につままれたような気のまま、私は店主さんに手製の名刺を渡し、価格表を見せながら商談に入った。もちろん、ディスカス専門店であるから、だめ元なのであるが親切にも店主さんは”今はまだ水槽が安定していないので無理だけど、一ヶ月ほどしたらディスカスの残餌処理用にステルバイを50匹ほどもらう”と言ってくれた。加えて、私を業界歴の長い人と勘違いしたのか、大変丁寧な対応を見せてくれた。思わぬラッキーに私はすっかり嬉しくなり、”ずいぶんと豪華なお店ですねえ、さぞお金がかかったでしょう”とおべっかを使った。すると、店主さんは”そうでもないよ、まあ込み込みで2000万円くらいかな”などとこちらが仰天することを言った。思わず私は、”それは大変ですねえ、ディスカスを愛しているんですねえ”とフォローしきれていない返答をした。すると、驚くべきことに店主さんは”いやあ、熱帯魚を飼育するのは初めてでね。まとまった退職金が入ったからお店を出してみたんだよ”などと恐ろしい発言をした。まるっきりフォローのできなくなった私は、それでも一ヵ月後の再会を約してそのショップを離れた。

 一ヵ月後、いやな予感がしたので、ステルバイは持っていかず、注文の確認のためにのみ、そのショップに再び私は向かった。ショップさんは相変わらずぴかぴかであり、店主さん夫婦は私を覚えていてくれた。店主さんの言うには”ステルバイはもうちょっと待ってほしい”と言うことで、私もそんな気がしていたのでそれについて異存はなかった。帰ろうとすると、どう見ても40代の店主さん夫婦はなぜか私を引き止めた。請われるままに、コーヒーと茶菓子などをご馳走になりながら、私は店主夫婦と雑談に入った。店主さんの奥さんは明らかに人恋しいモードに入っていて、雑談が止まらなかった。店主さんはなぜか”ほかの店の景気はどう?”とやけに他店の売り上げを聞きたがった。私はコリドラスの売れ行きがいいことなどを話すと、店主さんは露骨にがっかりした。ここまで話せばお分かりであろうが、私が”こちらのお店はいかがですか”と水を向けると、店主さんは”ぜんぜんだめ、開店当初は器具がちょっと売れたぐらいで、最近は一日中誰も来ない”と語った。私は正直いたたまれなかったので、”次のお店に行かなければなりませんから”と嘘を言い、逃げるようにその店を出ようとすると、まあまあと言って引き止められた。終には”必ず来週来ますから”と再会を約束させられて、私は漸く解放された。

 江戸っ子である私は無用に義理堅く、またなんとなく気になったので、その後用もないのにそのショップさんに足を運ぶようになった。そうこうしている内に、店主さんがどのような経緯で店を始めたのかについて聞くことが出来た。その話については次回に述べたいと思う。
 

ニート、色々な熱帯魚屋さんに出会うこと

 前回は、いよいよショップさんへの売り込みを強化したという話をした。今回は、その売り込みの中で私が何を見てきたかについて述べたい。

 ショップさんへの売り込みのために、当時の私はまだ若くて元気があったので、自分の住んでいる地域から半径150kmのところにある熱帯魚屋さんをほとんど訪れた。当時は、前にも述べたように第二次熱帯魚ブームの最盛期と言える時期であり、このエリアに含まれる熱帯魚屋さんは時間差をある程度無視すれば、大小取り揃えると100軒にもなった。もちろん、こうしたショップさんの中で、有名どころや大手のお店は、ほとんどの場合私などお呼びでなかった。若くてニートで蛮勇のあった私は、熱帯魚屋さんだけではなく、当時出来始めていた爬虫類専門店や犬猫専門店にさえ、売り込みを行った。もちろん、このような店とは、ほとんどの場合、商談が成立することはなかったが、ペット業界の内実を知る上では良い勉強をすることが出来た。

 中でも、今でも忘れることができないのが、あるディスカス専門店に売り込みを行った時の出来事である。当時、W.W.F.F、ゲーベル、チェンワイセンなどの有名ブリーダーによるブランド化されたディスカスは人気があり、驚くような値段で取り引きされていた。当時のディスカスマニアなら納得は出来たのであろうが、普通の人の金銭感覚では到底許容範囲を超えている金額で売買されている状況は、バブル崩壊後の不景気な社会と相反するものとして再三テレビなどで報道されていた。当時、熱帯魚にほとんど興味がない人でも、”ディスカスというのは高いらしい”くらいのことは耳にしたのではないか。後にアロワナがその地位を奪うことになるのだが。このような報道がおそらく下地にあったのであろうと思うのだが、ディスカス専門店が幾つも存在していた。私の知る限り、こうした店の経営者は三つのタイプに分類できた。

 一つは、どこぞの熱帯魚店で働いていた人が、独立する際に、単価の高いディスカスに特化して店を始めたものである。このような人は、ディスカスに対する情熱はそこそこだが、流通について大変詳しく、客扱いも上手で、なによりコネクションが発達しており、結果としてまずまずの経営をしている人が多かった。

 二番目のタイプは、趣味が高じてショップを始めたというものである。このタイプは、ディスカスに対するパトスと知識はたいしたもので、頭が下がるものであった。反面、流通経路や客扱いには欠けているところがある場合が多く、何よりもコネクションが未発達であった。結果として、経営には苦労している場合が多かった。

 最後のタイプは、なんらかの理由でまとまったお金が入り、かといってそのお金で一生食べていけるわけでもなく、第二の人生をスタートさせる必要がある人が取りあえずディスカス店をやってみた、というものである。意外に思われるかも知れないが、このようなお店は一つや二つではなかった。結構在ったのである。言うまでもないことだが、このタイプで経営がうまくいくわけがなかった。私が出会ったショップさんはまさにこのタイプであった。

 当然、誰でも疑問に思うであろうが、”どうして貴方がディスカス屋さんをやるのですか?”と私も思った。そこで、探りを入れることにしたのだが、それについては次回に述べることにしたい。

ニート、初めてのビッグウェーブに出会うこと

 前回からちょっと時間が経ってしまったが、熱帯魚編の続きを書きたいと思う。前回はやっとネオンテトラの繁殖を私なりに確立したところまでをお話しした。今回は、いよいよ私がどのようにして販売経路を作って行ったかについてお話しする。

 熱帯魚に限ったことではなく、おそらくはほとんどの商売について言えることなのだが、商売をするに当たっては商品を作るよりも、販売経路を確立することのほうがはるかに重要でかつ難しいことである。日本ではほとんどの場合、熱帯魚のブリーダーは自分の店舗を構え、いわばプラスアルファに近い状態でブリード個体を自分の店で販売し、他店舗や問屋さんに卸している。これらの方々は、日常の取引の中で自然に販売経路が形成されていく。その一方で、私のようにニートが思いつきでブリーダーとなった場合には、商品販売のためのコネクションをまず最初に作り出さなければならなかった。今のように、インターネットが発達していなかったので、通販という線は全く考えられなかった。そのために今まで述べてきたように、”ネオンテトラ作戦”を行ってきたのである。

 私がそれなりのコネクションを作ることが出来たのは、時期が良かったという側面が強い。当時は”第二次熱帯魚ブーム”の最盛期で、ボコボコと新しいお店がオープンしていたからである。多くの店は、熱帯魚好きが高じて、脱サラして開業したものであり、そのうちのほとんどはアピスト、アフリカンシクリッド、そしてディスカスのいずれかのマニアの方であった。このような魚種のマニアの場合、繁殖を前提に飼育しているので、よく勉強しており、したがって”ネオンテトラ作戦”は大変に有効であった。ほとんどの場合、私がネオンテトラを繁殖させていると聞くと、私を見る目が変わった。その結果、商談もスムーズに運んだ。また、ブリードする魚種の選定が良かった。私が最初に主力にしたステルバイもアドルフォイも人気と価格が安定しており、おまけに東南アジアブリードの個体が最近まで入ってこなかったからである。

 ネオンテトラ繁殖成功後、ほぼ半年の内に、私は20軒以上のショップさんと契約を結ぶことが出来るようになった。ショップさんの紹介で、私個人ではとても入り込めないと思っていた、チェーン店を展開する大手の店とも契約が出来るようになった。すべてのショップさんがリピーターになってくれ、正直に言えば一ヶ月にステルバイを1000匹作っても間に合わない状態になった。私は、人生で始めて訪れたビッグウェーブを逃がしてなるものか、と思い、大学には全然行かず、ひたすらコリドラスの卵取りに奔走した。卵を取って、魚の世話をして、ショップさんに配達をすると一日は終わった。一人ではとても無理なので、当時付き合っていた彼女に応援を頼んだ。ニートなのに、いっぱしに彼女など贅沢なものを持っていたのである。二人で業務をやっていると、なんとも所帯じみてうらぶれた雰囲気になり、あまり幸せではないのだが、それでも注文をこなすのがやっとの状態になった。

 基本的に、ステルバイという魚は、可愛くて、人気があって、丈夫という非の打ち所のない魚なのであるが、ただ一つだけ欠点があるとすれば、搬送に極めて弱いという点である。一つのビニール袋に10匹も入れるとほとんどの場合、胸ビレの先の毒針で刺しあい、ふらふらになってしまう。そこで、どうしても小分けにせざるを得なかった。100匹などという注文が入るとパッキングだけで一時間以上かかった。おまけに大層な重さになるので、宅配は不可能であった。そこで、私は必ずショップさんに自分で配達せざるを得なかった。私は贅沢にも、注文の際にはステルバイよりもパッキングの楽なアドルフォイの方が好ましく感じられるようになった。付け加えるが、後に販売したゴッセイはもっと面倒であった。

 このようにして、私の月収はなんと60万円を優に越えるようになった。無職でニートでごくつぶしの大学院生が、いきなり大企業の中堅どころ並みの年収になったのである。まさに、コリドラス長者である。就職するなどばかばかしくなったのは言うまでもない。私は人生で出会ったことのない大金を目にして、プチバブルの状態になった。小人が持ちなれぬ金を手にすると必ず見せる恥ずかしい所業をするようになった。下宿を引っ越して、一軒家を借りた。口が奢って、回らない寿司屋の常連になった。着る物にうるさくなった。

 こんなうまい話がいつまでも続くはずがないのである。ギリシャ悲劇に”ペリペテイア”という語があり、”人生の流転”を意味する言葉であるが、私もそれを味わうことになる。この後、アズキ相場のような変転が待ち受けているのであるが、その話はしばし置いておいて、次回は売り込みの中で私が見てきたことについてお話ししたい。
 

ニート、大人の階段を1歩昇ること

 ここのところ、ヤクルトの将来がなんとも心配でしょうがないのだが、私ごときが考えてもしょうがないとあきらめて熱帯魚編を再開したい。前回は、正義の鉄槌が下されてゾウリムシの確保ができなくなった顛末についてお話しした。今回は、ネオンテトラの初期飼料をどのように解決したかについてお話ししたい。
 さて、ゾウリムシを収奪できなくなった私はものの本に書かれている”インフゾリア”というやつを作ろうかと思った。たいていの本には、ゆでた菜っ葉などを池の水と混ぜてしばらくすると沸いてくるなどと書いてある。この話の信憑性について、私の巻き添えを食らって説教を受けた友人に聞いてみたところ、”99%無理である、これはばい菌を増やしているだけだ。特にお前さんのようないい加減な人間には無理無理無理”と言われた。これは私も感じていたところで大体、このような手法は滅菌処理でもしない限り、普通はばい菌が沸いて終わりなのである。よほど繊細な腕を持っていなければ、原生動物が沸くことはないのではないか。逆に言えば、用具の豊富な現在と違い、牧野さんや東さんのような偉大な先人たちは、卵生魚の初期試料の確保のために、このような不確実極まる方法を使わなければならないほど苦労をしていたのである。
 途方にくれた私に対して助言をくれたのは、以外にも前回説教を食らわせた教授であった。友人から私の困っていることを聞いた教授は、私を再び呼びつけると、次のように言った。”原生動物なら何でもいいのなら、一番手っ取り早い増殖法は、ほおって置くことだ”教授が言うには、汚れた水をほおって置くと水底に水垢のような茶色い汚いものが沈殿する。これを顕微鏡で覗くとツリガネムシのような原生動物がいっぱいついているのでそれを使ったらいいんじゃないか、と言うのである。なるほど、と思った私は、水換えの際に汲み出した水槽の水を日向にほおって置いた。しばらくたって沈殿した水垢を顕微鏡で覗いてみると、なるほどたくさん原生動物がついている。これを懸濁して、ネオンの稚魚に与えたところ、なんと稚魚は成長したのである。ただし、やはりゾウリムシを与えた場合と比べると、生残率は大きく落ちた。しかし、一般の方がネオンの繁殖をする場合には、これが一番手軽なのではないだろうか。
 さらに考えた私は”結局、問題の本質は原生動物をどのように確保するかではなく、ブラインより小さい有機物をネオンにどのように食べさせ、かつ水質の劣化をどのように防げばいいか、と言うことである”と言う結論に達した。そう思った私は、原生動物の追求は中止して、人工飼料の探求を始めた。すると、以外にも粒さえ小さければ、いろいろな餌でネオンの稚魚は成長することがわかった。極端な話、片栗粉でも成長するのである。コツは、とにかく与えすぎないこと、残餌処理のために小さな貝を入れておくこと、そして、孵化したばかりのブラインをダミーとして入れること、最後にできる限り一日に何度も与えることである。一般の方は、このようなブラインを食べられない小さな稚魚を育てる場合には濾過力を増すことによって残餌の分解を促進するために底面式のフィルターを使うとよいかもしれない。現在では、私はブラインを食べられない稚魚をあまり育てないが、グリーンドワーフシクリッドなどを増やす際には”ラピッドα”と言う人工飼料を使っている。これは、栄養価が高いらしく、稚魚の生残率が極めてよいので興味のある方は使ってみるとよろしいのではないか。この餌を入念に乳鉢で擦り、小さな粉末にして水に溶いて与えると一般の方でも100匹程度の稚魚を成長させることができると思う。こんなに採ってもしょうがないと言われればそれまでであるが。
 こうして、人に(あまり)頼ることなく、私はネオンの繁殖ができるようになった。結局、ショップさんへの売り込みを強化するためにはじめた”ネオンテトラ繁殖計画”は終了を見るまでに1年近くを要した。この間、コリドラスの稚魚は増える一方であった。次回は、いよいよショップさんへの売り込みを強化し、その中で見聞したことについてお話しする。

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