映画「マイ・フェア・レディ」のこと
映画のクチコミサイトが出来たと言うので私もこれにリンクしてみたい。私のお勧めは、なんと言っても”マイ・フェア・レディ”である。特に、女性に怒られやすい男性の方には、お勧めである。
もう随分と前、私がまだ大学生の時なのだが、当時つきあっていた彼女にこっぴどく罵られたことがあった。”貴方って本当に傲慢ね”と言うのである。当時の私は、彼女を大事に思い、常に彼女の意志を尊重していたつもりで、言ってしまえば、自分では”出来た”彼氏であると信じて疑わなかった。従って、”傲慢”と言われてもその意味が解らず、いたずらに的外れな御機嫌を取り、それに疲れると逆切れしていた。そんな時、NHKの映画劇場で”マイ・フェア・レディ”をたまたま見たのだが、その時始めて彼女の言っていた”傲慢”の意味を理解でき、人間関係の大事な何かを見つけた気がした。その意味で、”マイ・フェア・レディ”は、私がもっとも影響を受けた映画である。
この映画は余りにも有名なので、あらすじをここで述べるまでもないのだが、もっとも私にとって身につまされたシーンは無事に大使館デビューを果たし、帰ってきた時のヒギンズ教授とピッカリング大佐のやり取りを聞いて、その中でのイライザに対する無関心ぶりにイライザが怒り出すシーンである。当のヒギンズ教授はなぜイライザが怒っているのか、まるで理解できない。ヒギンズ教授の考えでは、イライザの大使館デビューはチョコレートと花屋さん開業資金のための単なるビジネスであり、イライザの努力に対する斟酌は必要がないのである。これは、まさに男性一般の論理である。しかし、イライザにとっては、確かにビジネスが最初の動機付けになったにせよ、努力の過程でむしろヒギンズ教授に対する愛と自己犠牲がモチベーションのほとんどを占めるようになっており、だからこそ、成功報酬として教授の思いやりを欲しているのである。そして、その思いやりを示さないヒギンズ教授は極めて”傲慢”に移るのである。
振り返って、当時の私は、彼女の行動のモチベーションがどこにあるかを理解していたとは言い難かった。だからこそ、”傲慢”だったのであると今は思う。今でもそうかもしれない。私の実家の行事に参加してもらう時など、どうしても、”夫婦なのだから相互の家の行事に参加するのは当然の義務だ”という感情が芽生えてしまう。義務として無感情に行うべきと言う点で全くビジネスライクであると言えよう。しかし、妻にとってはこれはまさに自己犠牲であり、ともすると、諍いの種になってしまう。私は、私が妻の心を斟酌せず、諍いになった時、”マイ・フェア・レディ”をいつも思い出して自分を諌めるのである。
もう随分と前、私がまだ大学生の時なのだが、当時つきあっていた彼女にこっぴどく罵られたことがあった。”貴方って本当に傲慢ね”と言うのである。当時の私は、彼女を大事に思い、常に彼女の意志を尊重していたつもりで、言ってしまえば、自分では”出来た”彼氏であると信じて疑わなかった。従って、”傲慢”と言われてもその意味が解らず、いたずらに的外れな御機嫌を取り、それに疲れると逆切れしていた。そんな時、NHKの映画劇場で”マイ・フェア・レディ”をたまたま見たのだが、その時始めて彼女の言っていた”傲慢”の意味を理解でき、人間関係の大事な何かを見つけた気がした。その意味で、”マイ・フェア・レディ”は、私がもっとも影響を受けた映画である。
この映画は余りにも有名なので、あらすじをここで述べるまでもないのだが、もっとも私にとって身につまされたシーンは無事に大使館デビューを果たし、帰ってきた時のヒギンズ教授とピッカリング大佐のやり取りを聞いて、その中でのイライザに対する無関心ぶりにイライザが怒り出すシーンである。当のヒギンズ教授はなぜイライザが怒っているのか、まるで理解できない。ヒギンズ教授の考えでは、イライザの大使館デビューはチョコレートと花屋さん開業資金のための単なるビジネスであり、イライザの努力に対する斟酌は必要がないのである。これは、まさに男性一般の論理である。しかし、イライザにとっては、確かにビジネスが最初の動機付けになったにせよ、努力の過程でむしろヒギンズ教授に対する愛と自己犠牲がモチベーションのほとんどを占めるようになっており、だからこそ、成功報酬として教授の思いやりを欲しているのである。そして、その思いやりを示さないヒギンズ教授は極めて”傲慢”に移るのである。
振り返って、当時の私は、彼女の行動のモチベーションがどこにあるかを理解していたとは言い難かった。だからこそ、”傲慢”だったのであると今は思う。今でもそうかもしれない。私の実家の行事に参加してもらう時など、どうしても、”夫婦なのだから相互の家の行事に参加するのは当然の義務だ”という感情が芽生えてしまう。義務として無感情に行うべきと言う点で全くビジネスライクであると言えよう。しかし、妻にとってはこれはまさに自己犠牲であり、ともすると、諍いの種になってしまう。私は、私が妻の心を斟酌せず、諍いになった時、”マイ・フェア・レディ”をいつも思い出して自分を諌めるのである。
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