ニート、泥縄をちょっと太くすること
前回は、ショップへの売込みを強化したいがために、ネオンテトラを繁殖させ、それによってこちらが単なる素人ではないことをアピールする作戦を立てたことを述べた。今回は、この作戦を遂行するに当たってどのようなことを行ったかについて述べる。
最初にお断りしておくが、この”ネオンテトラ作戦”によって、私は確かに取引先のショップさんを増やすことができた。しかし、今考えるにどのショップさんに対しても有効であるとは思わないし、もっと良い方法もあるだろう。あくまでも、私が述べていることは90年代の一つの点景として捉えていただきたい。ただ、これを読んで下さっている皆さんの中で、もしもたとえ副業にしろ、熱帯魚ブリーダーを考えていらっしゃるのなら、コリドラスやプレコなどを主力としてやっていこうと思っていても、やはりネオンテトラのような繁殖難魚と言われているものを増やしてみるのは決して無駄ではないと言える。
さて、私はネオンテトラの繁殖に挑戦するとは決めたものの、グッピーとコリドラスしか繁殖させたことがなかったので、いきなりトライするのも気が引けた。そこで、練習としてゼブラダニオとグローライトテトラの2種を繁殖させてみる事にした。すでに下宿ではステルバイもアドルフォイも日々成長しているのであるから、売り先を第一に探すべきなのであり、とんでもなく悠長であると言えるのだが、そんなことには目を瞑れるほどニートの興味は転々とするのである。
ゼブラもグローライトテトラも繁殖は簡単であると聞いていたので、増やすことには楽観的であった。そこで、私はここに至って初めて商売らしいことを考えた。つまり、コストパフォーマンスを計算したのである。種親の育成はコリドラスと同居なので除外視して、繁殖に用いる30cm水槽にかかる電気代、ブラインシュリンプ代、水道代などはトータルで大体一ヶ月で1000円ほどである。労働単価は練習なので除外すれば、産卵から出荷まで3ヶ月を想定すると一本の水槽で3000円が損益分岐点となる。私は取引をしてくれているショップさんたちにゼブラとグローライトテトラを100匹2000円、つまり1匹20円で卸す約束を取り付けたので、一水槽で150匹繁殖をさせることができればプラマイ0となるわけである。ちなみに、生後3ヶ月のゼブラとグローライトは共に本来の単価はもっと安いので、ショップさんたちは完全にボランティアであった。
このようにして、私は初めてブリーダーらしい繁殖をすることになった。今思い返しても、このとき協力してくれたショップさんたちには本当に感謝してもし足りないと思う。確かに、ゼブラとグローライトテトラなど商売にならない魚なのでお遊びと言ってしまえばそうである。しかし、このときに経験した小さな水槽でなるべく多くの魚を取るという技術の習得は私がブリーダーを続けていく上でかけがえのないものとなった。そうした意味ではお遊び以上のものであった。また、この技術は後に私がアルタムエンゼルの繁殖に成功したときに大きく役に立ったのである。次回は、ゼブラとグローライトテトラの繁殖について述べたいと思う。
この項を読んで繁殖に興味をもたれた方には以下の本がお勧めです。
熱帯魚繁殖入門 / 東 博司
最初にお断りしておくが、この”ネオンテトラ作戦”によって、私は確かに取引先のショップさんを増やすことができた。しかし、今考えるにどのショップさんに対しても有効であるとは思わないし、もっと良い方法もあるだろう。あくまでも、私が述べていることは90年代の一つの点景として捉えていただきたい。ただ、これを読んで下さっている皆さんの中で、もしもたとえ副業にしろ、熱帯魚ブリーダーを考えていらっしゃるのなら、コリドラスやプレコなどを主力としてやっていこうと思っていても、やはりネオンテトラのような繁殖難魚と言われているものを増やしてみるのは決して無駄ではないと言える。
さて、私はネオンテトラの繁殖に挑戦するとは決めたものの、グッピーとコリドラスしか繁殖させたことがなかったので、いきなりトライするのも気が引けた。そこで、練習としてゼブラダニオとグローライトテトラの2種を繁殖させてみる事にした。すでに下宿ではステルバイもアドルフォイも日々成長しているのであるから、売り先を第一に探すべきなのであり、とんでもなく悠長であると言えるのだが、そんなことには目を瞑れるほどニートの興味は転々とするのである。
ゼブラもグローライトテトラも繁殖は簡単であると聞いていたので、増やすことには楽観的であった。そこで、私はここに至って初めて商売らしいことを考えた。つまり、コストパフォーマンスを計算したのである。種親の育成はコリドラスと同居なので除外視して、繁殖に用いる30cm水槽にかかる電気代、ブラインシュリンプ代、水道代などはトータルで大体一ヶ月で1000円ほどである。労働単価は練習なので除外すれば、産卵から出荷まで3ヶ月を想定すると一本の水槽で3000円が損益分岐点となる。私は取引をしてくれているショップさんたちにゼブラとグローライトテトラを100匹2000円、つまり1匹20円で卸す約束を取り付けたので、一水槽で150匹繁殖をさせることができればプラマイ0となるわけである。ちなみに、生後3ヶ月のゼブラとグローライトは共に本来の単価はもっと安いので、ショップさんたちは完全にボランティアであった。
このようにして、私は初めてブリーダーらしい繁殖をすることになった。今思い返しても、このとき協力してくれたショップさんたちには本当に感謝してもし足りないと思う。確かに、ゼブラとグローライトテトラなど商売にならない魚なのでお遊びと言ってしまえばそうである。しかし、このときに経験した小さな水槽でなるべく多くの魚を取るという技術の習得は私がブリーダーを続けていく上でかけがえのないものとなった。そうした意味ではお遊び以上のものであった。また、この技術は後に私がアルタムエンゼルの繁殖に成功したときに大きく役に立ったのである。次回は、ゼブラとグローライトテトラの繁殖について述べたいと思う。
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熱帯魚繁殖入門 / 東 博司
ニート、泥縄をない始めること
前回は、ステルバイとアドルフォイをまんまと繁殖させたものの、予想外の注文の少なさから熱帯魚ショップにローラー作戦で売り込みを行うことを決めるまでをお話した。今回はそのローラー作戦の間に起こったことについて述べたい。
ニートで自分勝手で素人であった私は、それまで繁殖させた魚は全て繁殖させた数だけ販売できると勝手に想像していた。当然、そんなことは”不思議な力”でも働かない限り不可能なわけで、事ここに至って始めて、商売と言うものは販売経路の確立が、商品である魚を作ることよりもむしろ重要であることを認識させられた。
パレアタス800匹を先だって捌いていたので、私は最初、ローラー作戦に楽観的であった。ステルバイもアドルフォイも超人気種なのでどこのショップも喜んで買うに違いない、と思っていたのである。ところが、勝手が違った。随分と近県一帯のショップを訪ねたが、こちらの提示した値段で商談が成立したショップは5軒ほどに過ぎなかった。こちらの提示した値段は決して高いものではなかった。問屋さんの値段よりも2割方安くしていたのであるが、それでも断られた。ほとんどのショップさんでは、パレアタスは引き取ってくれたのに今回は買ってくれなかった。つまるところ、ただではもらうが金は出したくない、という事であった。
断わり文句は決まっていた。”素人が増やした魚を売るわけにはいかない”と言うのである。今だから言えるが、この言葉は半ば正しく、半ばうそである。アピストなどは、生育環境や餌の与え方で体型が大きく左右されるので、確かに売り物にはならない魚が出来やすい。今はやりのクリスタルレッドシュリンプも細かいことを色々言うので、素人は買い叩かれても仕方がないかも知れない。しかし、コリドラスは成長期にずーっとベアタンクで飼育したり、餌が極端に不足する、近親交配を続ける、など乱暴なことをしない限り、誰が増やしても、それほど(少なくとも売り物にはならないほど)体型に違いが見られるわけではない。しかし、そんなことを知らなかった私は、とにかく素人とプロの違いは何かという事について考えた。
ここでブリーダーを諦めるのも悪くはなかった。しかし、私の中の江戸っ子が”引いたら負けだ”と叫び続けた。そこで、一番最初に私を焚き付けたショップさんにアマチュアとプロの違いは何か?という事を尋ねた。このショップさんは、責任を感じていたらしく、一緒になって考えてくれた挙げ句、”ぶっちゃけて言うと、プロとアマの違いなどそんなにない。多くのショップの持っている経験など、せいぜい何年か熱帯魚売り場で働いていただけだ。それで得られる知識など、魚のメンテナンスの仕方と問屋さんの値段くらいだ。”と言い出した。ただ、売りたいなら、繁殖させた魚の体型に気をつけること、特に大量に作った魚の体型を崩さない練習をしておくことと誰もが認める繁殖の知識を披露することが大事だ、と言ってくれた。知識とはどのようにすれば、具現化できるのか。2人で色々考えた挙げ句、親切なショップさんは、”ネオンテトラを増やせばいい”と言い出した。ショップさんが言うには、”勉強しているショップ程、ネオンテトラの繁殖は難しいことを知っている。貴方がネオンテトラの繁殖ができることを知れば、勉強しているショップ程、貴方を素人とは扱わないだろう。”という事であった。今振り返れば、乱暴な意見である気もするが、こうして私は、ネオンテトラの繁殖に挑戦することとなった。次回は、ネオンテトラ繁殖について述べる。
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ニートで自分勝手で素人であった私は、それまで繁殖させた魚は全て繁殖させた数だけ販売できると勝手に想像していた。当然、そんなことは”不思議な力”でも働かない限り不可能なわけで、事ここに至って始めて、商売と言うものは販売経路の確立が、商品である魚を作ることよりもむしろ重要であることを認識させられた。
パレアタス800匹を先だって捌いていたので、私は最初、ローラー作戦に楽観的であった。ステルバイもアドルフォイも超人気種なのでどこのショップも喜んで買うに違いない、と思っていたのである。ところが、勝手が違った。随分と近県一帯のショップを訪ねたが、こちらの提示した値段で商談が成立したショップは5軒ほどに過ぎなかった。こちらの提示した値段は決して高いものではなかった。問屋さんの値段よりも2割方安くしていたのであるが、それでも断られた。ほとんどのショップさんでは、パレアタスは引き取ってくれたのに今回は買ってくれなかった。つまるところ、ただではもらうが金は出したくない、という事であった。
断わり文句は決まっていた。”素人が増やした魚を売るわけにはいかない”と言うのである。今だから言えるが、この言葉は半ば正しく、半ばうそである。アピストなどは、生育環境や餌の与え方で体型が大きく左右されるので、確かに売り物にはならない魚が出来やすい。今はやりのクリスタルレッドシュリンプも細かいことを色々言うので、素人は買い叩かれても仕方がないかも知れない。しかし、コリドラスは成長期にずーっとベアタンクで飼育したり、餌が極端に不足する、近親交配を続ける、など乱暴なことをしない限り、誰が増やしても、それほど(少なくとも売り物にはならないほど)体型に違いが見られるわけではない。しかし、そんなことを知らなかった私は、とにかく素人とプロの違いは何かという事について考えた。
ここでブリーダーを諦めるのも悪くはなかった。しかし、私の中の江戸っ子が”引いたら負けだ”と叫び続けた。そこで、一番最初に私を焚き付けたショップさんにアマチュアとプロの違いは何か?という事を尋ねた。このショップさんは、責任を感じていたらしく、一緒になって考えてくれた挙げ句、”ぶっちゃけて言うと、プロとアマの違いなどそんなにない。多くのショップの持っている経験など、せいぜい何年か熱帯魚売り場で働いていただけだ。それで得られる知識など、魚のメンテナンスの仕方と問屋さんの値段くらいだ。”と言い出した。ただ、売りたいなら、繁殖させた魚の体型に気をつけること、特に大量に作った魚の体型を崩さない練習をしておくことと誰もが認める繁殖の知識を披露することが大事だ、と言ってくれた。知識とはどのようにすれば、具現化できるのか。2人で色々考えた挙げ句、親切なショップさんは、”ネオンテトラを増やせばいい”と言い出した。ショップさんが言うには、”勉強しているショップ程、ネオンテトラの繁殖は難しいことを知っている。貴方がネオンテトラの繁殖ができることを知れば、勉強しているショップ程、貴方を素人とは扱わないだろう。”という事であった。今振り返れば、乱暴な意見である気もするが、こうして私は、ネオンテトラの繁殖に挑戦することとなった。次回は、ネオンテトラ繁殖について述べる。
この項を読んでくださり、繁殖に興味をもたれた方には以下の本がお勧めです。
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ニート、泥棒を捕まえたら縄がなかったこと
前回は、小人会議の結果、仲間とはぐれてしまったニート、つまり私が意地と金のためにステルバイとアドルフォイの繁殖にチャレンジし、まんまと産卵に至ったことを述べた。今回は、その続きについて述べたいと思う。
前回も書いたが、ステルバイ、アドルフォイ共にコリドラスの中では産卵は容易な種である。今では普通の方でも繁殖を楽しんでいると思うので詳細は私に教えられるまでもないであろうが、2ペア程を単種で飼育し、イトメを多めに与え、底砂をきれいに保つように水替えをしていればまず産卵はしてくれると思って間違いはない。私が皆さんに助言できることといえば、以下の2点くらいであろう。
第一は、偶然の計らいにより対比ができたのだが、ステルバイは小さい卵を大量に生むタイプで一回の産卵で200〜300ほどの卵が得られるのに対し、アドルフォイは大きな卵を少なく生むタイプで一回の産卵で得られる卵は100を切ることが多いということである。これも熱帯魚雑誌に紹介されていたりするのでご存知かもしれない。問題は、ステルバイタイプ、つまり小卵多産型のコリドラスは食卵癖がつきやすく、一度癖がついてしまうとまず食卵しないことはない。コリドラスは頭の悪い魚で飼い主のことは死ぬまで覚えないのに、このようないらないことだけは、頑として忘れないのである。このような食卵癖のついた個体は産卵しながら食卵するので種親としては失格となってしまう。従って、食卵癖をつけさせないために、たとえ増やす気が今はなくても、生まれた卵は必ず親に食べられる前に水槽内から完全に取り除かなければならない。さもないと、増やしたいときに増やせない。ステルバイはひとたび産卵しだすと一ヶ月で1000以上の卵を平気で産むので、卵の除去だけでも一苦労である。その点では食卵癖のつきにくいアドルフォイの方がはるかに楽チンである。
第二の点は、熱帯魚雑誌などでは、アドルフォイは繁殖が容易であるとよく紹介されているが、これはあくまでも”繁殖=産卵”という視点に立ったときの話である、ということである。あくまでも所詮コリドラスの範囲内ではあるが、稚魚の育成は私の知る限り、ゴッセイと並んで最も厄介ではないだろうか。とにかく、水質の変化に弱いのである。皆さんが御自宅でアドルフォイの産卵を見たら、採卵した卵を新しい水槽に入れるより、元の水槽の壁に市販のグッピーケースを装着し、この中で稚魚を育てたほうがおそらく生存率は高いと思う。グッピーケースの中の水は常に外部と循環させることがコツである。幸い、アドルフォイの稚魚は大きいのでスリットから出て行くことはない。この方法はパンダ、デビッドサンジィなど他の大卵少産型のコリドラスにも応用できる。なお、同様に水質変化に弱いゴッセイにはこの方法は使えないので注意が必要である。ゴッセイについては後々お話しする機会があると思うのでここではこれ以上触れない。
さて、このようにしてステルバイ、アドルフォイ共に稚魚を育て始めた私は意気揚々と先に両種を紹介してくれたショップに向かい、繁殖に成功したので育ちあがったら買い取ってほしいと要求した。もちろん、店主は快諾した。しかし、店主はここで私にとっては思いがけないことを言い出した。”ステルバイ、アドルフォイ共に20匹づつ持ってきて”というのである。よく考えたら当たり前で、一軒のショップさんが捌ける数はそれくらいなのであるが、すでに両種それぞれ数百匹の稚魚を抱えている私は、すべて引き取ってくれると勝手に皮算用していて、この注文数の少なさに大いに不満であった。かくもニートは自分勝手なのである。しかし、ここで不満を述べてもしょうがない。私は、気を取り直して、再びローラー作戦を展開することとなった。次回は、ローラー作戦がどのような発展を生むのかについて述べる。
この項を読んでくださり興味をもたれた方には以下の本がお勧めです。
熱帯魚繁殖入門 / 東 博司
前回も書いたが、ステルバイ、アドルフォイ共にコリドラスの中では産卵は容易な種である。今では普通の方でも繁殖を楽しんでいると思うので詳細は私に教えられるまでもないであろうが、2ペア程を単種で飼育し、イトメを多めに与え、底砂をきれいに保つように水替えをしていればまず産卵はしてくれると思って間違いはない。私が皆さんに助言できることといえば、以下の2点くらいであろう。
第一は、偶然の計らいにより対比ができたのだが、ステルバイは小さい卵を大量に生むタイプで一回の産卵で200〜300ほどの卵が得られるのに対し、アドルフォイは大きな卵を少なく生むタイプで一回の産卵で得られる卵は100を切ることが多いということである。これも熱帯魚雑誌に紹介されていたりするのでご存知かもしれない。問題は、ステルバイタイプ、つまり小卵多産型のコリドラスは食卵癖がつきやすく、一度癖がついてしまうとまず食卵しないことはない。コリドラスは頭の悪い魚で飼い主のことは死ぬまで覚えないのに、このようないらないことだけは、頑として忘れないのである。このような食卵癖のついた個体は産卵しながら食卵するので種親としては失格となってしまう。従って、食卵癖をつけさせないために、たとえ増やす気が今はなくても、生まれた卵は必ず親に食べられる前に水槽内から完全に取り除かなければならない。さもないと、増やしたいときに増やせない。ステルバイはひとたび産卵しだすと一ヶ月で1000以上の卵を平気で産むので、卵の除去だけでも一苦労である。その点では食卵癖のつきにくいアドルフォイの方がはるかに楽チンである。
第二の点は、熱帯魚雑誌などでは、アドルフォイは繁殖が容易であるとよく紹介されているが、これはあくまでも”繁殖=産卵”という視点に立ったときの話である、ということである。あくまでも所詮コリドラスの範囲内ではあるが、稚魚の育成は私の知る限り、ゴッセイと並んで最も厄介ではないだろうか。とにかく、水質の変化に弱いのである。皆さんが御自宅でアドルフォイの産卵を見たら、採卵した卵を新しい水槽に入れるより、元の水槽の壁に市販のグッピーケースを装着し、この中で稚魚を育てたほうがおそらく生存率は高いと思う。グッピーケースの中の水は常に外部と循環させることがコツである。幸い、アドルフォイの稚魚は大きいのでスリットから出て行くことはない。この方法はパンダ、デビッドサンジィなど他の大卵少産型のコリドラスにも応用できる。なお、同様に水質変化に弱いゴッセイにはこの方法は使えないので注意が必要である。ゴッセイについては後々お話しする機会があると思うのでここではこれ以上触れない。
さて、このようにしてステルバイ、アドルフォイ共に稚魚を育て始めた私は意気揚々と先に両種を紹介してくれたショップに向かい、繁殖に成功したので育ちあがったら買い取ってほしいと要求した。もちろん、店主は快諾した。しかし、店主はここで私にとっては思いがけないことを言い出した。”ステルバイ、アドルフォイ共に20匹づつ持ってきて”というのである。よく考えたら当たり前で、一軒のショップさんが捌ける数はそれくらいなのであるが、すでに両種それぞれ数百匹の稚魚を抱えている私は、すべて引き取ってくれると勝手に皮算用していて、この注文数の少なさに大いに不満であった。かくもニートは自分勝手なのである。しかし、ここで不満を述べてもしょうがない。私は、気を取り直して、再びローラー作戦を展開することとなった。次回は、ローラー作戦がどのような発展を生むのかについて述べる。
この項を読んでくださり興味をもたれた方には以下の本がお勧めです。
熱帯魚繁殖入門 / 東 博司
ニート ミーツ ステルバイ のこと
前回はニートたちがローラー作戦によって増やしたコリパレをショップに引き取ってもらったことをお話した。今回は、あるショップさんがそれについてどのような反応を示したかについて述べたいと思う。
私がそのショップさんに入った時、店主さんは何かを考えているようでほとんど反応を示さなかったのを覚えている。気を取り直して、コリドラスを引き取ってもらいたいと言うと、店主さんははっとして”えっ、コリドラス!”と我に返った。どうもコリドラスのことを考えていたようであった。店主さんはわくわくして何の種類であるかを尋ねた。もちろん、パレアタスだと答えた。すると、店主さんは露骨にあからさまにがっかりした。私は当時、コリドラスというのはアエネウスとそのアルビノ、それにパレアタスしか知らなかったので、他にどんな種類がいるのか、と聞いた。すると店主さんは奥から今は絶版となっているらしい(アマゾンで検索したが見つからなかった)ピーシーズの”コリドラス”を出してきて、こんなに種類がいるんだよと興奮気味に話してくれた。店主さんが言うには、中でもステルバイとアドルフォイは超人気種でこれを入荷したいんだけど高いんだよねえ、とため息交じりで説明してくれた。値段を聞いた私は正直、仰天した。今でこそ、両種ともに1000円以下が普通になったが、その当時、結構な値段したのである。今まで、ホームセンターのお手頃価格の魚しか知らなかった私には熱帯魚がそんな高いものであるとは想像していなかった。加えて、この両種だったら問屋さんの値段よりちょっと安ければ喜んで買うのに、と言うのである。
それを聞いた私の目が¥になったことは言うまでもない。どうせ増やすなら、お金に変換できるほうが嬉しいに決まっている。そう思った私は研究室に帰ると早速小人会議を招集し、これからはステルバイとアドルフォイを増やそう、と提案した。しかし、以外にも反応は鈍かった。彼等の興味はアニメージュなどに移っていたからである。本当にニートの興味は持続しない上にまるで方向性がない。このような軟弱アニメなどに興味を持てなかった私はなおも金のためにコリドラス繁殖を主張したが、結局物別れとなった。
議論が決裂したことで、金のためよりも、もはや意地のために私は独力でコリドラスの繁殖を行うことを宣言した。後先を考えない江戸っ子気質はほとんどが悪い方向に発動するのであるが今回はその極みであった。早速、下宿に60cm水槽を2本立ち上げた。ステルバイもアドルフォイも私の住んでいる地方都市ではほとんど見かけなかったので、わざわざ学校を休んで東京まで物色に出かけた。当時はインターネットも存在しなかったので、情報はすべて足で手に入れることになった。今はなきウチダ熱帯魚に日参した。ウチダさんはいつも混んでいたが、魚が好きだからではなく、意地と金のために通っている人は私だけであったと断言できる。
東京で結構な軒数のショップを回った結果、私はまあ満足できる価格でステルバイとアドルフォイを2ペアずつゲットすることに成功した。早速下宿の水槽に放し、繁殖を待つことになった。幸い、両種とも繁殖は容易で数ヵ月後にはそれぞれが産卵した。次回はその後の顛末について述べることにする。
この図鑑は現在手に入るものではお勧めです。
私がそのショップさんに入った時、店主さんは何かを考えているようでほとんど反応を示さなかったのを覚えている。気を取り直して、コリドラスを引き取ってもらいたいと言うと、店主さんははっとして”えっ、コリドラス!”と我に返った。どうもコリドラスのことを考えていたようであった。店主さんはわくわくして何の種類であるかを尋ねた。もちろん、パレアタスだと答えた。すると、店主さんは露骨にあからさまにがっかりした。私は当時、コリドラスというのはアエネウスとそのアルビノ、それにパレアタスしか知らなかったので、他にどんな種類がいるのか、と聞いた。すると店主さんは奥から今は絶版となっているらしい(アマゾンで検索したが見つからなかった)ピーシーズの”コリドラス”を出してきて、こんなに種類がいるんだよと興奮気味に話してくれた。店主さんが言うには、中でもステルバイとアドルフォイは超人気種でこれを入荷したいんだけど高いんだよねえ、とため息交じりで説明してくれた。値段を聞いた私は正直、仰天した。今でこそ、両種ともに1000円以下が普通になったが、その当時、結構な値段したのである。今まで、ホームセンターのお手頃価格の魚しか知らなかった私には熱帯魚がそんな高いものであるとは想像していなかった。加えて、この両種だったら問屋さんの値段よりちょっと安ければ喜んで買うのに、と言うのである。
それを聞いた私の目が¥になったことは言うまでもない。どうせ増やすなら、お金に変換できるほうが嬉しいに決まっている。そう思った私は研究室に帰ると早速小人会議を招集し、これからはステルバイとアドルフォイを増やそう、と提案した。しかし、以外にも反応は鈍かった。彼等の興味はアニメージュなどに移っていたからである。本当にニートの興味は持続しない上にまるで方向性がない。このような軟弱アニメなどに興味を持てなかった私はなおも金のためにコリドラス繁殖を主張したが、結局物別れとなった。
議論が決裂したことで、金のためよりも、もはや意地のために私は独力でコリドラスの繁殖を行うことを宣言した。後先を考えない江戸っ子気質はほとんどが悪い方向に発動するのであるが今回はその極みであった。早速、下宿に60cm水槽を2本立ち上げた。ステルバイもアドルフォイも私の住んでいる地方都市ではほとんど見かけなかったので、わざわざ学校を休んで東京まで物色に出かけた。当時はインターネットも存在しなかったので、情報はすべて足で手に入れることになった。今はなきウチダ熱帯魚に日参した。ウチダさんはいつも混んでいたが、魚が好きだからではなく、意地と金のために通っている人は私だけであったと断言できる。
東京で結構な軒数のショップを回った結果、私はまあ満足できる価格でステルバイとアドルフォイを2ペアずつゲットすることに成功した。早速下宿の水槽に放し、繁殖を待つことになった。幸い、両種とも繁殖は容易で数ヵ月後にはそれぞれが産卵した。次回はその後の顛末について述べることにする。
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ニート達が熱帯魚の里親探しに奔走すること
さて、前回は大学院生の名を騙ったニート達がグッピーとコリドラス・パレアタスをつくだ煮にする程繁殖させたことについてお話した。今回は、繁殖した魚達がどのような運命を辿ったかについて述べたいと思う。
某年4月、怪し気な修士論文をでっち上げた私達は、まんまと博士過程に潜り込むことに成功した。研究に対する展望や情熱などかけらも持ち合わせていなかった私達を博士過程に紛れ込ませてしまったことは、大学院生の教育に巨額の税金(理系の大学院生には平均で数百万の税金を1年で使うそうである)が投入されていることを考えると、ちょっとした国家的損失であった。
修士論文作成のストレスから解放された私達ニートは、ここで始めて研究室に熱帯魚が溢れている現状を冷静に認識し、驚愕した。確かに熱帯魚の繁殖は楽しいのであるが、あくまでも計画的に行うべきであった。なんとグッピーもコリパレもそれぞれ800匹以上飼育していた。皆さんは、60cm水槽の床一面にコリパレが細密充填されているところを想像できるであろうか。繁殖に狂っている間は、可愛いで済ませていたが、我に返ってみると、可愛いと言うよりはむしろ無気味な光景であった。こうして、私達の博士過程進学後の最初の問題は、研究ビジョンの構築などではなく、増え過ぎた魚達をどうするか、と言うことになった。
最初に、大学の構内に”熱帯魚差し上げます”の張り紙を貼った。当時は、第二次熱帯魚ブームのはしりの頃で、大学生、院生で熱帯魚に興味を持っている人は結構いた。おかげで、グッピーはすぐに里親?を見つけることに成功した。なぜ”?”が付くのか。グッピーを欲しがる人の何割かは際限もなく、百匹単位で欲しがったからである。いくらなんでも、個人で飼育するには多すぎるであろうと、問い質すと彼等は決まってカメや肉食魚の餌にすると答えた。”可愛がって育てた魚が餌かよ”と我々は始め難色を示したが、恒例の小人会議を行った結果、譲り渡すこととなった。この時、私の心のスイッチが一つ壊れた気がした。私はその後、現在に至るまで肉食魚の餌に使うために熱帯魚を随分と増やしてきている。しかし、いつも大変な間違いをしている気がして仕方がない。”命の重さ”という私ごときには消化できない問題を常に考えたくないのにも関わらず、考えさせられている気がするのである。
さて、グッピーはほとんど引き取られていったが、コリパレは固くて餌に向かない為に、あまりもらわれなかった。餌にされなかったコリパレはグッピーより遥かに幸せであったが、私達ニートは幸せでなかった。そこで、今まで散々お世話になったホームセンターに引き取ってくれるように交渉した。しかし、当然ながら販売経路が確立されているホームセンターなどがどこの馬の骨とも知れない素人の持ち込みなど受け入れるわけがなかった。そこで、私達は近県一帯の熱帯魚ショップに引き取りの交渉をするべく、ローラー作戦を展開することになった。
当時は先に述べたように、熱帯魚ブームであり、個人営業のショップが結構区々に存在した。こうしたショップに電話か、あるいは飛び込みで私達は交渉した。電話よりも飛び込みの方が遥かに引き取ってくれるお店は多かった。多くのお店は10匹単位で引き取ってくれた。その中の幾つかのお店は親切なことに餌などと交換してくれた。数軒は幾らかのお金をくれた。その中でも、あるお店が言ってくれたことが私の運命(と言う程ではないが)を変えた。次回は、その一言がなんであったのかについて述べようと思う。
某年4月、怪し気な修士論文をでっち上げた私達は、まんまと博士過程に潜り込むことに成功した。研究に対する展望や情熱などかけらも持ち合わせていなかった私達を博士過程に紛れ込ませてしまったことは、大学院生の教育に巨額の税金(理系の大学院生には平均で数百万の税金を1年で使うそうである)が投入されていることを考えると、ちょっとした国家的損失であった。
修士論文作成のストレスから解放された私達ニートは、ここで始めて研究室に熱帯魚が溢れている現状を冷静に認識し、驚愕した。確かに熱帯魚の繁殖は楽しいのであるが、あくまでも計画的に行うべきであった。なんとグッピーもコリパレもそれぞれ800匹以上飼育していた。皆さんは、60cm水槽の床一面にコリパレが細密充填されているところを想像できるであろうか。繁殖に狂っている間は、可愛いで済ませていたが、我に返ってみると、可愛いと言うよりはむしろ無気味な光景であった。こうして、私達の博士過程進学後の最初の問題は、研究ビジョンの構築などではなく、増え過ぎた魚達をどうするか、と言うことになった。
最初に、大学の構内に”熱帯魚差し上げます”の張り紙を貼った。当時は、第二次熱帯魚ブームのはしりの頃で、大学生、院生で熱帯魚に興味を持っている人は結構いた。おかげで、グッピーはすぐに里親?を見つけることに成功した。なぜ”?”が付くのか。グッピーを欲しがる人の何割かは際限もなく、百匹単位で欲しがったからである。いくらなんでも、個人で飼育するには多すぎるであろうと、問い質すと彼等は決まってカメや肉食魚の餌にすると答えた。”可愛がって育てた魚が餌かよ”と我々は始め難色を示したが、恒例の小人会議を行った結果、譲り渡すこととなった。この時、私の心のスイッチが一つ壊れた気がした。私はその後、現在に至るまで肉食魚の餌に使うために熱帯魚を随分と増やしてきている。しかし、いつも大変な間違いをしている気がして仕方がない。”命の重さ”という私ごときには消化できない問題を常に考えたくないのにも関わらず、考えさせられている気がするのである。
さて、グッピーはほとんど引き取られていったが、コリパレは固くて餌に向かない為に、あまりもらわれなかった。餌にされなかったコリパレはグッピーより遥かに幸せであったが、私達ニートは幸せでなかった。そこで、今まで散々お世話になったホームセンターに引き取ってくれるように交渉した。しかし、当然ながら販売経路が確立されているホームセンターなどがどこの馬の骨とも知れない素人の持ち込みなど受け入れるわけがなかった。そこで、私達は近県一帯の熱帯魚ショップに引き取りの交渉をするべく、ローラー作戦を展開することになった。
当時は先に述べたように、熱帯魚ブームであり、個人営業のショップが結構区々に存在した。こうしたショップに電話か、あるいは飛び込みで私達は交渉した。電話よりも飛び込みの方が遥かに引き取ってくれるお店は多かった。多くのお店は10匹単位で引き取ってくれた。その中の幾つかのお店は親切なことに餌などと交換してくれた。数軒は幾らかのお金をくれた。その中でも、あるお店が言ってくれたことが私の運命(と言う程ではないが)を変えた。次回は、その一言がなんであったのかについて述べようと思う。
ニートたちが再び熱帯魚に熱中すること
熱帯魚繁殖入門 / 東 博司
前回は、大学院生を騙ったニートたちが暴走した挙句、水槽が壊滅した顛末をお話した。今回は壊滅した水槽が再生、発展することを述べる。
さて、カタストロフィーの後、我等がニート水槽にはグッピーが数匹とコリパレが1ペア生き残っていた。もはや、ニートたちはおざなりに餌をやり、義務的に水替えを行っていた。多くの子供がちょっと困難に直面すると見せる投げやりな態度そのままに、全然興味を失っていたからである。
そんなある日のこと、ある友人が水槽の前で素っ頓狂な声を上げた。”ボウフラがいる!”。そのときの私たちの最初の反応は、蚊でも湧かれてはたまらない、と水槽を撤去できる口実ができたことを喜んだものであった。しかし、続いて、友人の”ボウフラじゃない、魚の赤ちゃんだ!”という声を聞いたとたん、水槽の前に我々は勢揃いしたのである。なるほど、小さな小さな魚がアナカリスの影でぴょんぴょんしている。手のひらを返して、私たちは、かわいいね、水槽があってよかったね、などと興奮し、数秒前に見せた水槽に対する嫌悪感とは裏腹な事を言い出した。小人度し難しとはこのようなことを言うのである。
俄然奮い立った私たちは、例によって小人会議を開き、満場一致で赤ちゃん用水槽を立ち上げることを決定した。決まるや否や、今までもたびたび見せてきたニート特有の突発的な行動力を爆発させ、一時間後にはホームセンターに立っていた。店員さんに事情を説明し、何をそろえればよいのか、どのように飼育すればよいのか、などと質問した。店員さんは私たちのあまりの無知さに驚き呆れていたが、やがて、必要な器具、餌としてのブラインシュリンプとその孵化器、そして、最も重要な東さんの書いた”熱帯魚繁殖入門”という本を紹介してくれた。この本は、特に我々のような初心者には大変有難いものであった。
こうして、私たちは始めて熱帯魚飼育に必要な知識を得ることとなった。再びニートたちは熱帯魚飼育に熱を上げるようになった。稚魚を育てていくことは、今までのような雑多な魚を混泳させて鑑賞するよりもはるかに我々の心に適合する楽しみであった。暇さえあれば、”熱帯魚繁殖入門”を読みふけった。この本では、コリパレの繁殖についても紹介している。私たちは”コリパレも産卵したらいいのにね”などと話していた。すると、本当にコリパレも産卵したのである。
ある日のこと、いつもは置物のように水底に沈没しているコリパレ夫婦がやけにせわしなく泳いでいる。水槽の角で上下を行ったり来たりしている。”病気じゃないのか?”などと話しているうちに、Tポジションを取り、ガラス壁に卵をくっつけた。私たちの興奮は頂点に達した。ニート全員が喝采を挙げ、早速、”熱帯魚繁殖入門”の教えに従って、卵を指で採って隔離した。このとき採卵した個数は100を超える程度であった。コリパレの稚魚は大変に丈夫で、ほとんど落ちることなく、成長していった。
一度、繁殖の楽しみを知ってしまったニートたちはまたしても暴走を開始した。今度は、グッピーとコリパレの子供たちを際限なく増やし始めたのである。産子間近のグッピーのメスを隔離したり、コリパレの卵を産むたびに採卵することは、私たちの心を強く捉えた。時期も悪かった。私たちは皆、修士論文の締め切りに追われていたのである。幼児でニートで怠け者の私たちは、就職する気などさらさらなく、単に今の自堕落な生活を維持したいがために博士課程に進学するつもりでいたのだが、それでも修士論文は提出しなければならず、このことがストレスになっていた。誰でも、テスト勉強などしているときには漫画が異常に面白い、といった経験があると思うが、私たちの場合には熱帯魚の繁殖にそれが向いた。その結果、私たちが怪しげな修士論文をでっち上げたときにはグッピーとコリパレがそれぞれ数百匹に増殖していた。
当時、”ジュラシックパーク”という映画が話題になっていた。私たちは研究なんて全然していなかったが、このような映画についてはいっぱしに科学的におかしいか否かなどと議論(というほどのものではないが)していた。この映画は言ってしまえば、恐竜が現代で暴れまわるというだけのものであるが、この中での台詞として”生き物は自らの生きる道を自らで見つける”というものがある。ともすれば、ニートたちに飼育されたかわいそうな魚たちも、どうすればより幸せに飼育されるかということを自ら見つける努力をしたのではないか、などと心の中の小さなポエマーが当時を振り返って叫んでいるのである。次回は、増殖した熱帯魚たちの運命について述べる。
前回は、大学院生を騙ったニートたちが暴走した挙句、水槽が壊滅した顛末をお話した。今回は壊滅した水槽が再生、発展することを述べる。
さて、カタストロフィーの後、我等がニート水槽にはグッピーが数匹とコリパレが1ペア生き残っていた。もはや、ニートたちはおざなりに餌をやり、義務的に水替えを行っていた。多くの子供がちょっと困難に直面すると見せる投げやりな態度そのままに、全然興味を失っていたからである。
そんなある日のこと、ある友人が水槽の前で素っ頓狂な声を上げた。”ボウフラがいる!”。そのときの私たちの最初の反応は、蚊でも湧かれてはたまらない、と水槽を撤去できる口実ができたことを喜んだものであった。しかし、続いて、友人の”ボウフラじゃない、魚の赤ちゃんだ!”という声を聞いたとたん、水槽の前に我々は勢揃いしたのである。なるほど、小さな小さな魚がアナカリスの影でぴょんぴょんしている。手のひらを返して、私たちは、かわいいね、水槽があってよかったね、などと興奮し、数秒前に見せた水槽に対する嫌悪感とは裏腹な事を言い出した。小人度し難しとはこのようなことを言うのである。
俄然奮い立った私たちは、例によって小人会議を開き、満場一致で赤ちゃん用水槽を立ち上げることを決定した。決まるや否や、今までもたびたび見せてきたニート特有の突発的な行動力を爆発させ、一時間後にはホームセンターに立っていた。店員さんに事情を説明し、何をそろえればよいのか、どのように飼育すればよいのか、などと質問した。店員さんは私たちのあまりの無知さに驚き呆れていたが、やがて、必要な器具、餌としてのブラインシュリンプとその孵化器、そして、最も重要な東さんの書いた”熱帯魚繁殖入門”という本を紹介してくれた。この本は、特に我々のような初心者には大変有難いものであった。
こうして、私たちは始めて熱帯魚飼育に必要な知識を得ることとなった。再びニートたちは熱帯魚飼育に熱を上げるようになった。稚魚を育てていくことは、今までのような雑多な魚を混泳させて鑑賞するよりもはるかに我々の心に適合する楽しみであった。暇さえあれば、”熱帯魚繁殖入門”を読みふけった。この本では、コリパレの繁殖についても紹介している。私たちは”コリパレも産卵したらいいのにね”などと話していた。すると、本当にコリパレも産卵したのである。
ある日のこと、いつもは置物のように水底に沈没しているコリパレ夫婦がやけにせわしなく泳いでいる。水槽の角で上下を行ったり来たりしている。”病気じゃないのか?”などと話しているうちに、Tポジションを取り、ガラス壁に卵をくっつけた。私たちの興奮は頂点に達した。ニート全員が喝采を挙げ、早速、”熱帯魚繁殖入門”の教えに従って、卵を指で採って隔離した。このとき採卵した個数は100を超える程度であった。コリパレの稚魚は大変に丈夫で、ほとんど落ちることなく、成長していった。
一度、繁殖の楽しみを知ってしまったニートたちはまたしても暴走を開始した。今度は、グッピーとコリパレの子供たちを際限なく増やし始めたのである。産子間近のグッピーのメスを隔離したり、コリパレの卵を産むたびに採卵することは、私たちの心を強く捉えた。時期も悪かった。私たちは皆、修士論文の締め切りに追われていたのである。幼児でニートで怠け者の私たちは、就職する気などさらさらなく、単に今の自堕落な生活を維持したいがために博士課程に進学するつもりでいたのだが、それでも修士論文は提出しなければならず、このことがストレスになっていた。誰でも、テスト勉強などしているときには漫画が異常に面白い、といった経験があると思うが、私たちの場合には熱帯魚の繁殖にそれが向いた。その結果、私たちが怪しげな修士論文をでっち上げたときにはグッピーとコリパレがそれぞれ数百匹に増殖していた。
当時、”ジュラシックパーク”という映画が話題になっていた。私たちは研究なんて全然していなかったが、このような映画についてはいっぱしに科学的におかしいか否かなどと議論(というほどのものではないが)していた。この映画は言ってしまえば、恐竜が現代で暴れまわるというだけのものであるが、この中での台詞として”生き物は自らの生きる道を自らで見つける”というものがある。ともすれば、ニートたちに飼育されたかわいそうな魚たちも、どうすればより幸せに飼育されるかということを自ら見つける努力をしたのではないか、などと心の中の小さなポエマーが当時を振り返って叫んでいるのである。次回は、増殖した熱帯魚たちの運命について述べる。
熱帯魚水槽が暴走モードに突入すること
さて、前回はニートたちが熱帯魚水槽を魚で一杯にしたことを述べた。しかし、ここで言っている”魚で一杯”というのは世間一般での評価であって、当のニートたちは一杯などとは思っていなかった。
あるとき、水槽を覘くと見慣れない魚が泳いでいた。エンゼルフィッシュである。友人達に”どうしたのだ”と聞くと、あるものが挙動不審となった。最初は突然変異だの自然発生だのと、とても生物学科の院生とは思えない言い逃れをした挙句、しまいにホームセンターにたまたま寄ったので、つい買ってしまったと白状した。私たちは口では彼の勝手な行為を責めたが、内心では喝采した。もうこれで、面倒な議論をすることなく、みんな勝手に魚を購入できるからである。このときから、私も含めてニートたちの行動に歯止めが効かなくなった。
あるものはなんとハイギョの赤ちゃんを水槽に入れた。プロトプテルス・ドロイである。成長するにつれ、最初はグッピーの尾びれを、ついでグッピーの本体を食べ始めた。別のものはミズカマキリやゲンゴロウを入れた。その餌と称してクチボソなども大量に導入した。もちろん、みんなの反対にあって一週間ほどで除去されたが、もはやみんなの意識の中では”熱帯魚”水槽ではなくなった。
大量の魚が混泳しているので、大量に餌を与えた。元々、熱帯魚飼育は観賞に慣れてしまえば、餌やりが一番楽しい時間なのだが、それにしても与えすぎた。配合飼料だけではなく、イトメなどを買ってきて、どんどん投入した。水はどんなに替えてもすぐに茶色になり、私たちは3日に一回丸々水槽を掃除しなければならなかった。ニートたちは指数関数的に増加するメンテナンスの手間に直面し、急速に水槽に対する興味を失っていった。
暴走の終焉は以外に早く訪れた。6月のある日のこと、たまたま研究室が丸一日無人になった。この日は大変暑く、閉め切られた室内は30度をはるかに超えたようであった。次の日に研究室に来てみると、水槽の魚達はほとんどが死んでいた。日頃の劣悪な環境で弱っていたのに加え、高温による酸素不足が原因と思われる。まさに死屍累々と言った様相であった。私たちはさすがに罪悪の念から急いで水槽を丸洗いし、生き残ったわずかの魚を救助した。このカタストロフィーの中、生き残ったのはグッピーが5匹とコリドラス・パレアタスが1ペアのみであった。普通、コリドラスは高温と酸素不足が苦手なのだが、この夫婦は奇跡的に助かった。私たちはすでに新しい魚を買い足す気にはならなかった。すでにメンテナンスに飽きていたニートたちは餌当番、水変え当番を決め、なるべくなら関わりたくないと言った態度がありありであった。
次回はこの生き残った魚達がどのようなドラマを織り成したかについて述べる。
あるとき、水槽を覘くと見慣れない魚が泳いでいた。エンゼルフィッシュである。友人達に”どうしたのだ”と聞くと、あるものが挙動不審となった。最初は突然変異だの自然発生だのと、とても生物学科の院生とは思えない言い逃れをした挙句、しまいにホームセンターにたまたま寄ったので、つい買ってしまったと白状した。私たちは口では彼の勝手な行為を責めたが、内心では喝采した。もうこれで、面倒な議論をすることなく、みんな勝手に魚を購入できるからである。このときから、私も含めてニートたちの行動に歯止めが効かなくなった。
あるものはなんとハイギョの赤ちゃんを水槽に入れた。プロトプテルス・ドロイである。成長するにつれ、最初はグッピーの尾びれを、ついでグッピーの本体を食べ始めた。別のものはミズカマキリやゲンゴロウを入れた。その餌と称してクチボソなども大量に導入した。もちろん、みんなの反対にあって一週間ほどで除去されたが、もはやみんなの意識の中では”熱帯魚”水槽ではなくなった。
大量の魚が混泳しているので、大量に餌を与えた。元々、熱帯魚飼育は観賞に慣れてしまえば、餌やりが一番楽しい時間なのだが、それにしても与えすぎた。配合飼料だけではなく、イトメなどを買ってきて、どんどん投入した。水はどんなに替えてもすぐに茶色になり、私たちは3日に一回丸々水槽を掃除しなければならなかった。ニートたちは指数関数的に増加するメンテナンスの手間に直面し、急速に水槽に対する興味を失っていった。
暴走の終焉は以外に早く訪れた。6月のある日のこと、たまたま研究室が丸一日無人になった。この日は大変暑く、閉め切られた室内は30度をはるかに超えたようであった。次の日に研究室に来てみると、水槽の魚達はほとんどが死んでいた。日頃の劣悪な環境で弱っていたのに加え、高温による酸素不足が原因と思われる。まさに死屍累々と言った様相であった。私たちはさすがに罪悪の念から急いで水槽を丸洗いし、生き残ったわずかの魚を救助した。このカタストロフィーの中、生き残ったのはグッピーが5匹とコリドラス・パレアタスが1ペアのみであった。普通、コリドラスは高温と酸素不足が苦手なのだが、この夫婦は奇跡的に助かった。私たちはすでに新しい魚を買い足す気にはならなかった。すでにメンテナンスに飽きていたニートたちは餌当番、水変え当番を決め、なるべくなら関わりたくないと言った態度がありありであった。
次回はこの生き残った魚達がどのようなドラマを織り成したかについて述べる。
熱帯魚の種類が爆発的に増えること
前回は、我々、大学院生の皮を被ったニート達が水槽を立ち上げた顛末についてお話した。
さて、水槽を立ち上げた当日に早速妄想が拡大した私達は、早くも翌日には再びホームセンターを訪れていた。水草を入れたいと言っていた友人はアナカリスを買った。この選択は偶然にせよ正解であった。大きな魚を買いたいと言っていた友人は結局、さほど大きくないレッドテールブラックシャークを買った。これは気性がやや荒いもののまあ正解であった。生態系構築の野望を持った友人は、店員さんと物質循環について議論した挙げ句、コリドラス・パレアタスを購入した。これが後に尾を引くのであるが、取りあえずは正解と言えよう。最もお調子者であった私は単に可愛いと言う理由でミドリフグを選んだ。当然、とんでもない失敗であった。店員さんは内心”バカなやつだ”と思っていたであろうが、なんにもアドバイスをくれなかった。なにしろ、みんな舞い上がっていたので、口を挟む気にならなかったのであろう。
意気揚々と買い物を済ませた私達は、研究室に戻ると買ってきたものを水槽に投入した。それまで殺風景であった水槽はアナカリスによって、ぐんと好ましい風景になった。買ってきた魚達は隅っこで身を潜めていたが、一時間もすると泳ぎ始めた。なるほど、賑やかになって楽しいね、などとみんなで眺めているうちに、私の選んだミドリフグが昨日買ってきたグッピーを突つき始めた。最初は突つき方が可愛いね、などと言っていたが、いつまで経っても、突つくのを止めないので、だんだん私達はイヤな気にさせられてきた。ミドリフグは3日程グッピーを突ついた挙げ句、4日目には白くなって沈没した。もちろん、このような汽水魚をグッピーなどと混泳させた私達が悪いのであるが、何の知識も持ち合わせていなかった私達はいたずらにイヤな気をさせられただけであった。今考えれば、本当に可哀想なことをした。ミドリフグが汽水魚であることはずっと後になって知った。
さて、私の選んだフグの代わりに何を入れるか、という議論が友人間で繰り広げられた。当然、フグを選んだ張本人である私に発言権はなかった。これを読んで下さっている方々はすでに3種類も魚が入っているのだから、もう十分ではないかと思われるであろう。しかし、幼児で素人でニートだった私達は心のインフレスパイラルに入っていて、水槽を魚で一杯にしなければ気が済まなかったのである。
ずいぶんと議論をした挙句、友人たちは最悪の結論で折り合いをつけた。つまり、また一人一種づつ好きな魚を投入する権利を得たのである。こうして、水槽を立ち上げてから一週間後、再び私達はホームセンターに出向き、魚を物色した。水草好きの友人は、今度は水草ではなく、コケを食べてくれるという触れ込みでアルジイーターを選んだ。こいつは最初の二週間ほどは触れ込み通りの活躍をしたが、その後はコケなど全然食べず、水槽の主となった。まるで、暗黒時代の阪神の外国人選手のようであったので、後にグリーンウェルという名前がつけられた。大魚好きの友人は私と同じ過ちをした。つまり、テッポウウオを選択したのである。まさに私たちの学習能力のなさを露呈するものであった。もっとも、テッポウウオはフグに比べるとはるかに丈夫で数ヶ月は生存した。生態系好きの友人は物質循環を促進するためと称してクーリーローチを購入した。こいつはまったく無害ではあるが、常に砂に潜っているので生存を確認できるのは水替えの時だけであった。
このようにして、さして広くない45cm水槽は私たちの望みどおり、魚で一杯になった。しかし、幼児で素人でニート達の暴走はこれでも止まることはなかった。次回は、この悲惨な水槽のその後について述べる。
さて、水槽を立ち上げた当日に早速妄想が拡大した私達は、早くも翌日には再びホームセンターを訪れていた。水草を入れたいと言っていた友人はアナカリスを買った。この選択は偶然にせよ正解であった。大きな魚を買いたいと言っていた友人は結局、さほど大きくないレッドテールブラックシャークを買った。これは気性がやや荒いもののまあ正解であった。生態系構築の野望を持った友人は、店員さんと物質循環について議論した挙げ句、コリドラス・パレアタスを購入した。これが後に尾を引くのであるが、取りあえずは正解と言えよう。最もお調子者であった私は単に可愛いと言う理由でミドリフグを選んだ。当然、とんでもない失敗であった。店員さんは内心”バカなやつだ”と思っていたであろうが、なんにもアドバイスをくれなかった。なにしろ、みんな舞い上がっていたので、口を挟む気にならなかったのであろう。
意気揚々と買い物を済ませた私達は、研究室に戻ると買ってきたものを水槽に投入した。それまで殺風景であった水槽はアナカリスによって、ぐんと好ましい風景になった。買ってきた魚達は隅っこで身を潜めていたが、一時間もすると泳ぎ始めた。なるほど、賑やかになって楽しいね、などとみんなで眺めているうちに、私の選んだミドリフグが昨日買ってきたグッピーを突つき始めた。最初は突つき方が可愛いね、などと言っていたが、いつまで経っても、突つくのを止めないので、だんだん私達はイヤな気にさせられてきた。ミドリフグは3日程グッピーを突ついた挙げ句、4日目には白くなって沈没した。もちろん、このような汽水魚をグッピーなどと混泳させた私達が悪いのであるが、何の知識も持ち合わせていなかった私達はいたずらにイヤな気をさせられただけであった。今考えれば、本当に可哀想なことをした。ミドリフグが汽水魚であることはずっと後になって知った。
さて、私の選んだフグの代わりに何を入れるか、という議論が友人間で繰り広げられた。当然、フグを選んだ張本人である私に発言権はなかった。これを読んで下さっている方々はすでに3種類も魚が入っているのだから、もう十分ではないかと思われるであろう。しかし、幼児で素人でニートだった私達は心のインフレスパイラルに入っていて、水槽を魚で一杯にしなければ気が済まなかったのである。
ずいぶんと議論をした挙句、友人たちは最悪の結論で折り合いをつけた。つまり、また一人一種づつ好きな魚を投入する権利を得たのである。こうして、水槽を立ち上げてから一週間後、再び私達はホームセンターに出向き、魚を物色した。水草好きの友人は、今度は水草ではなく、コケを食べてくれるという触れ込みでアルジイーターを選んだ。こいつは最初の二週間ほどは触れ込み通りの活躍をしたが、その後はコケなど全然食べず、水槽の主となった。まるで、暗黒時代の阪神の外国人選手のようであったので、後にグリーンウェルという名前がつけられた。大魚好きの友人は私と同じ過ちをした。つまり、テッポウウオを選択したのである。まさに私たちの学習能力のなさを露呈するものであった。もっとも、テッポウウオはフグに比べるとはるかに丈夫で数ヶ月は生存した。生態系好きの友人は物質循環を促進するためと称してクーリーローチを購入した。こいつはまったく無害ではあるが、常に砂に潜っているので生存を確認できるのは水替えの時だけであった。
このようにして、さして広くない45cm水槽は私たちの望みどおり、魚で一杯になった。しかし、幼児で素人でニート達の暴走はこれでも止まることはなかった。次回は、この悲惨な水槽のその後について述べる。
古田さんは野村監督の弟子なのか、のこと
余計な前振りは避けて、前回に引き続き、古田さんについて私の感じたことを述べていきたい。
前回、私はヤクルトの若手がみんな精神的に子供であり、その責任の一端は古田さんにあるのではないかと述べた。これには理由がある。去年までうちのチームの公認マネージャー?だった磯山さやかさんの書いた”女子マネ主義”?という本がある。余談だが、この年になってアイドル本などを買うのは大変恥ずかしいのであるが、今はアマゾンなどがあるので便利である。磯山さんは神宮でよく見かけたが、いつも元気に走り回っていた印象がある。なんで今年はやめちゃったのかな?
磯山さんの話は別の機会にするとして、去年出されたこの本(つまり、古田さんの監督就任一年目)の中で、古田さんとの対談が載っている。面白いことに週べなどと違い、アイドル本であるから、古田さんもガードが緩まっているせいか、結構正直に考えを開陳しているように見える。その中で、野村監督のアンチテーゼとして、自分は選手自身の判断ではなく、積極的に自分の判断を伝達すると述べている。選手に判断ミスによる責を負わせたくないと言っているのである。私はこのことが頭にあったので、テレビで常に選手の目線を追っていた。すると、前回お話したように、若手選手たちは必ずベンチを確認している。
私は今期のヤクルトの不振は結局これが、つまり、古田さんが野村監督のアンチテーゼにこだわったことが最大の原因であると思う。中継ぎ陣は毎回同じように打たれ、守備では同じようにエラーし、チャンスでは同じように凡退した。改善とか反省は少なくとも外から見ている限り見られなかった。選手が自立しないからであろう。野村監督は世間で多少誤解されているが、データや小技だけではなく、選手は自立し、その中で信頼関係を築くことが重要であると繰り返し述べている。それを含めて”無形の力”なのである。その意味で古田さんは野村監督の弟子なのであろうか?確かに、配球など技術的なことは野村監督の影響が強く弟子であろう。しかし、野球という団体競技では、技術に負けず、自立した人間関係の構築が重要であり、これは今年の巨人、敗戦の責任を自分とせず、常にピッチャーとする阿部選手(門倉選手に対する発言などは大変見苦しい)などを捕手としている巨人を見れば納得がいくのではないか。戦力的には他を圧倒しているにもかかわらず、阪神に大きく負け越し、おそらくペナントの優勝を落とすのは、この自立した人間関係の構築を軽視しているからではないか。そして、古田さんもまた、ニュアンスは異なるもののその轍を踏んでいるように思えるのである。むしろ、私の目から見ると、阪神の矢野さんのほうが余程野村監督の弟子である。
話は多少ずれるが、ヤクルトの黄金時代を支えた飯田さんがフルスタ宮城で去年引退した。私は仙台まで見に行ったが、飯田さんが号泣しながら野村監督に抱きついていた姿が今でも目に焼きついている。飯田さんは引退の挨拶の中で技術に限らず、野村さんが教えてくれたこと、野村さんに出会ったことが自分を創ったと話した。この技術以外のことが重要なのであり、ヤクルトの2軍コーチである今、是非とも技術以外のことを選手に浸透させてほしいものである。
日本では、監督の専任事項があいまいであり、結果、監督の素質というのもあいまいであり、いわゆる”名将”というものをカテゴライズするのは難しい。野村監督の手法が絶対的ではなく、シチュエーションが違えばおのずと要求されるものも変わるであろう。しかし、少なくともヤクルトのような弱小球団では野村監督の言う”無形の力”なしには戦えないのではないか。古田さんがこのまま終わるとは思えない。来たるカムバックの際には是非とも人間集団の管理を考えて”名将”になってもらいたいのである。
前回、私はヤクルトの若手がみんな精神的に子供であり、その責任の一端は古田さんにあるのではないかと述べた。これには理由がある。去年までうちのチームの公認マネージャー?だった磯山さやかさんの書いた”女子マネ主義”?という本がある。余談だが、この年になってアイドル本などを買うのは大変恥ずかしいのであるが、今はアマゾンなどがあるので便利である。磯山さんは神宮でよく見かけたが、いつも元気に走り回っていた印象がある。なんで今年はやめちゃったのかな?
磯山さんの話は別の機会にするとして、去年出されたこの本(つまり、古田さんの監督就任一年目)の中で、古田さんとの対談が載っている。面白いことに週べなどと違い、アイドル本であるから、古田さんもガードが緩まっているせいか、結構正直に考えを開陳しているように見える。その中で、野村監督のアンチテーゼとして、自分は選手自身の判断ではなく、積極的に自分の判断を伝達すると述べている。選手に判断ミスによる責を負わせたくないと言っているのである。私はこのことが頭にあったので、テレビで常に選手の目線を追っていた。すると、前回お話したように、若手選手たちは必ずベンチを確認している。
私は今期のヤクルトの不振は結局これが、つまり、古田さんが野村監督のアンチテーゼにこだわったことが最大の原因であると思う。中継ぎ陣は毎回同じように打たれ、守備では同じようにエラーし、チャンスでは同じように凡退した。改善とか反省は少なくとも外から見ている限り見られなかった。選手が自立しないからであろう。野村監督は世間で多少誤解されているが、データや小技だけではなく、選手は自立し、その中で信頼関係を築くことが重要であると繰り返し述べている。それを含めて”無形の力”なのである。その意味で古田さんは野村監督の弟子なのであろうか?確かに、配球など技術的なことは野村監督の影響が強く弟子であろう。しかし、野球という団体競技では、技術に負けず、自立した人間関係の構築が重要であり、これは今年の巨人、敗戦の責任を自分とせず、常にピッチャーとする阿部選手(門倉選手に対する発言などは大変見苦しい)などを捕手としている巨人を見れば納得がいくのではないか。戦力的には他を圧倒しているにもかかわらず、阪神に大きく負け越し、おそらくペナントの優勝を落とすのは、この自立した人間関係の構築を軽視しているからではないか。そして、古田さんもまた、ニュアンスは異なるもののその轍を踏んでいるように思えるのである。むしろ、私の目から見ると、阪神の矢野さんのほうが余程野村監督の弟子である。
話は多少ずれるが、ヤクルトの黄金時代を支えた飯田さんがフルスタ宮城で去年引退した。私は仙台まで見に行ったが、飯田さんが号泣しながら野村監督に抱きついていた姿が今でも目に焼きついている。飯田さんは引退の挨拶の中で技術に限らず、野村さんが教えてくれたこと、野村さんに出会ったことが自分を創ったと話した。この技術以外のことが重要なのであり、ヤクルトの2軍コーチである今、是非とも技術以外のことを選手に浸透させてほしいものである。
日本では、監督の専任事項があいまいであり、結果、監督の素質というのもあいまいであり、いわゆる”名将”というものをカテゴライズするのは難しい。野村監督の手法が絶対的ではなく、シチュエーションが違えばおのずと要求されるものも変わるであろう。しかし、少なくともヤクルトのような弱小球団では野村監督の言う”無形の力”なしには戦えないのではないか。古田さんがこのまま終わるとは思えない。来たるカムバックの際には是非とも人間集団の管理を考えて”名将”になってもらいたいのである。
古田監督お疲れ様でした、のこと
今日は熱帯魚編の続きを書こうと思っていたのだが、古田監督が辞任されると言う報道があり、こちらを先にしようと思う。
我々ヤクルトファン、とひとくくりにしても問題はないと思うが、我々にとって選手としての古田さんは”我々の誇り”であった。最も幸せな時代であった野村監督の時期でさえ、他球団のファンにうらやましがられる選手と言うのはほとんど在籍していなかったのであるが、古田さんは例外中の例外であった。文句なく、若松さんの後を継ぐミスタースワローズであった。
選手としてではなく、選手会の会長としても辣腕を振るわれた。皆さんも私に教えられるまでもなく、プロ野球再編問題の際の古田さんの活躍は御記憶に新しいと思われる。世論を確実に味方につけ、楽天球団の誕生を導くことに成功した。あの頃の古田さんは本当に輝いていた。
しかし、昨年から兼任監督に就任されてから、古田さんの輝きはどんどん失われていった。最初に断っておくが、私は前も述べたように、今期のうちのチームの不振は古田さんだけの責任ではなく、今期での辞任にはあまり納得できない気がする。ただ、これも前回述べたことであるが、古田さんの監督としての能力には疑問が残るのである。
今期の不振は、結局のところ、中継ぎ、抑えの投手の崩壊、内野の布陣の失敗に尽きる。先発はグライジンガーさんがおり、序盤は出遅れたにせよ他の投手陣もそこそこ頑張ってくれた。決して他球団に比べて弱いとは言えまい。横浜や広島と遜色がないのではないか。阪神よりはむしろ上であると言える。攻撃についても、岩村さん、ラロッカさんが抜け、リグスさんが脱落したとはいえ、青木さんとラミレスさんの二枚看板がおり、宮本さんだって頑張っているし若手もそこそこ打ってむしろ強力でさえあった。
問題は、なぜ中継ぎ、抑えの崩壊が起こったか、そしてこんなに内野の守備が乱れるのか、と言うことである。コーチ陣がうまく指導しないのかも知れない。ロケットボーイズが復活できないせいもあるであろう。もちろん、金がないと言って秋季キャンプを満足に行わなかった影響もあるであろう。しかし、それ以上に気になるのは、投手陣、野手陣共に私のような素人目で見ても自立したプレーが見られないことである。ピンチになった時、捕手は一球ごとにベンチを見る。守備位置を変えるときも必ずベンチを見る。チャンスの時、バッターは一球ごとにベンチを見る。まるで褒められたい子供が大人の顔色を常に伺うように、彼等は必ずベンチを見るのである。こんなにベンチを見る球団は他にはない。おそらく、ベンチから懇切ていねいな指示が出るのであろう。その指示に従っている限り、失敗しても咎められないし、自分の責任を感じないでもすむのであろう。このような環境は選手にとっては楽であろう。しかし、責任を感じない環境は自分の判断力を伸ばすことなく、結果として同じ過ちを繰り返していたのではないか。
野村監督は著書の中でヤクルトの選手は大人であった、と何度も書いている。しかし、今期のヤクルトメンバーは若手に限って言うならば子供であったように思える。しかも、たちが悪いことに地球上で最も役に立たない”親の顔色を常に伺う世間で言う良い子”であった。その筆頭が田中浩康選手である。私は正直、あの選手だけは見たくないし、使ってほしくない。彼には何度も何度も幻滅させられたが、特に酷かったのがあの忌まわしい阪神戦である。ヤクルトファンなら皆覚えているであろうが、5回表の攻撃で彼はボーグルソンさんからフェイクの死球で塁に出た。そのこと自体、卑怯でがっかりなのだが、それはまだ良い。これによって、ボーグルソンさんは制球を乱され、結果としてリグスさんが満塁ホームランを打って一時は逆転に成功した。問題はその後である。あんなことをされれば、相手は怒るに決まっているのである。つまり、あのようなアンフェアプレーをするならば、相手の怒りを受け止める気構えをもつべきなのである。それなのに、田中選手は次の打席でウィリアムスさんから報復に近い球を投げられると顔面蒼白となり、気死してしまったのである。あの時点で頭は真っ白になっていたのであろう。次の打席で球児くんのワイルドピッチの際に振り逃げを忘れ、同点機をみすみす潰して試合は終わった。おそらく、頭が飽和していて打席に立っているのがやっとだったのであろう。まさに、一度も怒られたことのない子供が始めて叱られたときの反応であった。プロ野球でこんなものを見せられてはたまらないのである。田中選手に限らず、今期のヤクルトは若手選手が青木さんを除いて皆子供であった。思い返せば、野村監督のときも、若松さんのときも、たとえ戦力が整わず、負けが込んでいようとも選手は大人であった。こんな情けない負け方はしなかった。残念ではあるが、選手を子供にした責任の一端は古田さんにあったのではないか。
次回も、古田さんについてもう少し述べていきたい。
我々ヤクルトファン、とひとくくりにしても問題はないと思うが、我々にとって選手としての古田さんは”我々の誇り”であった。最も幸せな時代であった野村監督の時期でさえ、他球団のファンにうらやましがられる選手と言うのはほとんど在籍していなかったのであるが、古田さんは例外中の例外であった。文句なく、若松さんの後を継ぐミスタースワローズであった。
選手としてではなく、選手会の会長としても辣腕を振るわれた。皆さんも私に教えられるまでもなく、プロ野球再編問題の際の古田さんの活躍は御記憶に新しいと思われる。世論を確実に味方につけ、楽天球団の誕生を導くことに成功した。あの頃の古田さんは本当に輝いていた。
しかし、昨年から兼任監督に就任されてから、古田さんの輝きはどんどん失われていった。最初に断っておくが、私は前も述べたように、今期のうちのチームの不振は古田さんだけの責任ではなく、今期での辞任にはあまり納得できない気がする。ただ、これも前回述べたことであるが、古田さんの監督としての能力には疑問が残るのである。
今期の不振は、結局のところ、中継ぎ、抑えの投手の崩壊、内野の布陣の失敗に尽きる。先発はグライジンガーさんがおり、序盤は出遅れたにせよ他の投手陣もそこそこ頑張ってくれた。決して他球団に比べて弱いとは言えまい。横浜や広島と遜色がないのではないか。阪神よりはむしろ上であると言える。攻撃についても、岩村さん、ラロッカさんが抜け、リグスさんが脱落したとはいえ、青木さんとラミレスさんの二枚看板がおり、宮本さんだって頑張っているし若手もそこそこ打ってむしろ強力でさえあった。
問題は、なぜ中継ぎ、抑えの崩壊が起こったか、そしてこんなに内野の守備が乱れるのか、と言うことである。コーチ陣がうまく指導しないのかも知れない。ロケットボーイズが復活できないせいもあるであろう。もちろん、金がないと言って秋季キャンプを満足に行わなかった影響もあるであろう。しかし、それ以上に気になるのは、投手陣、野手陣共に私のような素人目で見ても自立したプレーが見られないことである。ピンチになった時、捕手は一球ごとにベンチを見る。守備位置を変えるときも必ずベンチを見る。チャンスの時、バッターは一球ごとにベンチを見る。まるで褒められたい子供が大人の顔色を常に伺うように、彼等は必ずベンチを見るのである。こんなにベンチを見る球団は他にはない。おそらく、ベンチから懇切ていねいな指示が出るのであろう。その指示に従っている限り、失敗しても咎められないし、自分の責任を感じないでもすむのであろう。このような環境は選手にとっては楽であろう。しかし、責任を感じない環境は自分の判断力を伸ばすことなく、結果として同じ過ちを繰り返していたのではないか。
野村監督は著書の中でヤクルトの選手は大人であった、と何度も書いている。しかし、今期のヤクルトメンバーは若手に限って言うならば子供であったように思える。しかも、たちが悪いことに地球上で最も役に立たない”親の顔色を常に伺う世間で言う良い子”であった。その筆頭が田中浩康選手である。私は正直、あの選手だけは見たくないし、使ってほしくない。彼には何度も何度も幻滅させられたが、特に酷かったのがあの忌まわしい阪神戦である。ヤクルトファンなら皆覚えているであろうが、5回表の攻撃で彼はボーグルソンさんからフェイクの死球で塁に出た。そのこと自体、卑怯でがっかりなのだが、それはまだ良い。これによって、ボーグルソンさんは制球を乱され、結果としてリグスさんが満塁ホームランを打って一時は逆転に成功した。問題はその後である。あんなことをされれば、相手は怒るに決まっているのである。つまり、あのようなアンフェアプレーをするならば、相手の怒りを受け止める気構えをもつべきなのである。それなのに、田中選手は次の打席でウィリアムスさんから報復に近い球を投げられると顔面蒼白となり、気死してしまったのである。あの時点で頭は真っ白になっていたのであろう。次の打席で球児くんのワイルドピッチの際に振り逃げを忘れ、同点機をみすみす潰して試合は終わった。おそらく、頭が飽和していて打席に立っているのがやっとだったのであろう。まさに、一度も怒られたことのない子供が始めて叱られたときの反応であった。プロ野球でこんなものを見せられてはたまらないのである。田中選手に限らず、今期のヤクルトは若手選手が青木さんを除いて皆子供であった。思い返せば、野村監督のときも、若松さんのときも、たとえ戦力が整わず、負けが込んでいようとも選手は大人であった。こんな情けない負け方はしなかった。残念ではあるが、選手を子供にした責任の一端は古田さんにあったのではないか。
次回も、古田さんについてもう少し述べていきたい。
熱帯魚と再び出会うこと
前回は、私が幼少のみぎり、”第一次熱帯魚ブーム”に出会ったことをお話した。今回は、歳月を経て、再び熱帯魚に出会ったきっかけについてお話をする。
今から10年以上前なのか20年近く前なのか、とにかくバブル崩壊前夜のことである。当時、私はある地方大学の大学院生をしていた。今はともかく、その当時、大学院に進学するものは、ごくつぶしと呼ばれてもしょうがないものどもであった。もっとも優秀な同級生たちはきちんと企業に就職した。次に優秀な人々は役人になった。未来を考えず、幼児性が抜け切らない連中が大学院に進学することになった。当時はニートという便利な言葉がなかったが、間違いなくニートの一種であった。
私が所属した研究室は放任これ極まれり、としか言いようがなく、大学院生たちは大部屋に詰め込まれており、指導教官が覘くことはほとんどなかった。それをいいことに学生たちはマンガやゲームや果ては炊事道具、寝具などを持ち込み、好き勝手に怠惰な日々を過ごしていた。今なら、オウム事件や阪神大震災の影響などで大学管理がうるさくなり、とてもこんな生活はできないであろう。
ある晩秋の午後、数人でごろごろしていると一人の学生が水槽を持ってきた。金魚でも飼うのか、と聞くと、熱帯魚を飼うのだ、と言う。熱帯魚屋が近くにあるのか、と聞くと、ホームセンターでいくらも売っている、と言う。面白そうだと思った私たちは熱帯魚を一緒に買いに行くことにした。本当は水槽を洗い、砂を入れ、水を張って、ろ過装置を起動させ、等々と下準備を済ませてから魚を入れるのだが、素人の上に幼児性の強い私たちはそんな我慢ができなかったのである。
熱帯魚売り場に着くとずいぶんと賑わっており、たくさんの熱帯魚が販売されていた。あれがいい、これがいいとみんなで騒いだ挙句、結局グッピーを3ペアほど買って帰った。ついでに店員さんから簡単な飼育法を聞いた。
午後7時過ぎに研究室に帰ると、早速水槽の設置を始めた。しかし、なにぶん素人なので、水槽、器具、砂などを洗い、冷たい水を張って水温が25度になるのを待っていたら、なんと午前2時を回ってしまった。今思えば、水槽に張る水にお湯を混ぜればよかったのであるが、当時はそんな知恵がなかったのである。それでも、準備万端、買ってきたグッピーを水槽に放したとき、私たちは達成感を共有したのである。と同時に、持ち前の幼児性が台頭した。あるものは水草を入れたいと言う。別の人はもっと大きな魚がよいと言う。あるものは水槽内で完結する生態系が作りたいなどと言う。午前5時頃までみんな言いたいことを言った挙句、明日、もう一度ホームセンターに行って物色しようと言うことになった。
この水槽の発展については次回にお話しようと思う。
今から10年以上前なのか20年近く前なのか、とにかくバブル崩壊前夜のことである。当時、私はある地方大学の大学院生をしていた。今はともかく、その当時、大学院に進学するものは、ごくつぶしと呼ばれてもしょうがないものどもであった。もっとも優秀な同級生たちはきちんと企業に就職した。次に優秀な人々は役人になった。未来を考えず、幼児性が抜け切らない連中が大学院に進学することになった。当時はニートという便利な言葉がなかったが、間違いなくニートの一種であった。
私が所属した研究室は放任これ極まれり、としか言いようがなく、大学院生たちは大部屋に詰め込まれており、指導教官が覘くことはほとんどなかった。それをいいことに学生たちはマンガやゲームや果ては炊事道具、寝具などを持ち込み、好き勝手に怠惰な日々を過ごしていた。今なら、オウム事件や阪神大震災の影響などで大学管理がうるさくなり、とてもこんな生活はできないであろう。
ある晩秋の午後、数人でごろごろしていると一人の学生が水槽を持ってきた。金魚でも飼うのか、と聞くと、熱帯魚を飼うのだ、と言う。熱帯魚屋が近くにあるのか、と聞くと、ホームセンターでいくらも売っている、と言う。面白そうだと思った私たちは熱帯魚を一緒に買いに行くことにした。本当は水槽を洗い、砂を入れ、水を張って、ろ過装置を起動させ、等々と下準備を済ませてから魚を入れるのだが、素人の上に幼児性の強い私たちはそんな我慢ができなかったのである。
熱帯魚売り場に着くとずいぶんと賑わっており、たくさんの熱帯魚が販売されていた。あれがいい、これがいいとみんなで騒いだ挙句、結局グッピーを3ペアほど買って帰った。ついでに店員さんから簡単な飼育法を聞いた。
午後7時過ぎに研究室に帰ると、早速水槽の設置を始めた。しかし、なにぶん素人なので、水槽、器具、砂などを洗い、冷たい水を張って水温が25度になるのを待っていたら、なんと午前2時を回ってしまった。今思えば、水槽に張る水にお湯を混ぜればよかったのであるが、当時はそんな知恵がなかったのである。それでも、準備万端、買ってきたグッピーを水槽に放したとき、私たちは達成感を共有したのである。と同時に、持ち前の幼児性が台頭した。あるものは水草を入れたいと言う。別の人はもっと大きな魚がよいと言う。あるものは水槽内で完結する生態系が作りたいなどと言う。午前5時頃までみんな言いたいことを言った挙句、明日、もう一度ホームセンターに行って物色しようと言うことになった。
この水槽の発展については次回にお話しようと思う。
熱帯魚とかりそめの出会いをすること
私が小学生のときであるからもう40年近く前になるのだが、世間でいきなり熱帯魚が注目されたことがあった。業界では第一次熱帯魚ブームと呼ばれているものである。突然、燎原の火のごとく、熱帯魚屋さんが次々に町に出現した。ちょっと気の利いた駅ビルにはその最上階に必ず熱帯魚売り場が作られた。今のように子供の遊びが豊富であった訳ではなく、子供たちは熱帯魚売り場に集結し、放課後の憩いのひと時をそこで過ごすのが日課となった。
今も昔も子供というのは残忍であり、当然一番人気はピラニアであった。当時はどこの店にもピラニアの赤ちゃんが販売されており、ちょうど子供のおこずかいで買える値段であった。子供たちはおこずかいを貯め、ヒーターの要らなくなる夏休み前に争ってピラニアを買った。店主に教えられたようにハイポなどを水に溶かし、買ってきたピラニアを水槽に入れ、金魚を餌として与え、起こりうるであろう殺戮をわくわくしながら眺めていた。本当は、ピラニアの赤ちゃんはスケールイーターでなかなか子供たちの期待する殺戮にまでは至らないのだが、なにぶん狭い水槽なので何度も鱗を攻撃されているうちにいつか金魚は死んでしまう。すると子供たちは満足した。こんな殺戮ショーを夏中繰り返し眺め、いい加減飽きたころに秋が来て水温が下がり、ピラニアは死んでいった。あの当時、いったい何匹のピラニアが無為に日本で死んでいったかを思うと胸が痛む。
子供たちのピラニアが死滅して程なく、熱帯魚ブームは終わりを告げた。町の熱帯魚屋さんは次々と閉店し、駅ビルの熱帯魚売り場も消滅した。子供たちはもはやピラニアには飽き飽きしていたので、このような変化には無縁の生活を送っていた。
私にとって熱帯魚との出会いはこんなものであった。狭いステンレス枠の無骨な水槽に水が張られ、ぽつねんとピラニアがいる殺風景な光景が私の熱帯魚に持つイメージであった。この印象のまま人生を過ごせればよかったのだが、ひょんなことからそうもいかなくなった。
次回は熱帯魚に本気で向き合ったきっかけについて述べることにする。
今も昔も子供というのは残忍であり、当然一番人気はピラニアであった。当時はどこの店にもピラニアの赤ちゃんが販売されており、ちょうど子供のおこずかいで買える値段であった。子供たちはおこずかいを貯め、ヒーターの要らなくなる夏休み前に争ってピラニアを買った。店主に教えられたようにハイポなどを水に溶かし、買ってきたピラニアを水槽に入れ、金魚を餌として与え、起こりうるであろう殺戮をわくわくしながら眺めていた。本当は、ピラニアの赤ちゃんはスケールイーターでなかなか子供たちの期待する殺戮にまでは至らないのだが、なにぶん狭い水槽なので何度も鱗を攻撃されているうちにいつか金魚は死んでしまう。すると子供たちは満足した。こんな殺戮ショーを夏中繰り返し眺め、いい加減飽きたころに秋が来て水温が下がり、ピラニアは死んでいった。あの当時、いったい何匹のピラニアが無為に日本で死んでいったかを思うと胸が痛む。
子供たちのピラニアが死滅して程なく、熱帯魚ブームは終わりを告げた。町の熱帯魚屋さんは次々と閉店し、駅ビルの熱帯魚売り場も消滅した。子供たちはもはやピラニアには飽き飽きしていたので、このような変化には無縁の生活を送っていた。
私にとって熱帯魚との出会いはこんなものであった。狭いステンレス枠の無骨な水槽に水が張られ、ぽつねんとピラニアがいる殺風景な光景が私の熱帯魚に持つイメージであった。この印象のまま人生を過ごせればよかったのだが、ひょんなことからそうもいかなくなった。
次回は熱帯魚に本気で向き合ったきっかけについて述べることにする。
東京ヤクルトは再建できるのか?のこと
少し前から、古田さんの去就問題が取りざたされてきていたが、今日は遂に次期監督として具体的に栗山さんの名前がスポーツ紙の一面に載せられてしまった。こうした報道を見るとあらためて終焉感でお腹いっぱいである。おまけに、Yahoo!アンケートでもお題としてヤクルト再建が作られ、それを見る限り、通り一遍のこと、それができれば苦労はないんだよ、という選択肢がてんこ盛りである。簡単に再建できないことはファンは重々わかっており、こんないい加減なもので語ってもらいたくはないんだよ。親会社からの資本注入なんてできるわけないじゃん。それがわかっていれば新戦力なんて簡単には口にはできないのである。こんなアンケートを作ったやつはケンカをうってんのかよ。
古田さんの監督としての力量には私自身、なんだかな〜と言う気持ちがある。これについては次回にでも詳しくお話したいと思う。ただ、だから監督を変えたらうまく行くのか?と聞かれるとそんな簡単なものではあるまい。大体、今年の低迷については昨年のオフの段階で十二分に想像が出来たはずである。お金がないという理由で秋季キャンプの人数を減らしていたからである。前代未聞であり、あの近鉄だってしていないのではないか。そんなことをすれば、練習できない以前にモチベーションが保てるはずもなく、結果として弱くなるに決まってるのである。それで古田さんに責任を取れと言うのはあんまりではないか。
私は基本的なスタンスとして、弱くてもいいから、ファンが納得するプレーをしてくれれば十分であると思っている。具体的には、JFKをタコ打ちしろとか、G打線を毎回完封しろとかそんなことは望まない。3連戦は3連敗しなければいいし、最下位になってもまあかまわない。しかし、今年のように勝てる試合を中継ぎ陣の崩壊や守備の乱れによってみすみす落とすと言うのは勘弁してもらいたい。また、このままでは、身売りされるのではないかと言う危惧があり、下手をすれば消滅して球界再編に繋がりかねないと思っている。それだけは何とかして阻止してもらいたいのである。このスタンスの中で私なりの再建論について述べることにする。
すでにCSプロ野球ニュースなどで散々言われているのだが、今年のヤクルトの課題は、戦術的には3つである。第一に中継ぎ、抑えの投手達の崩壊、第二に、守りのミスの多発、第三に小技が下手になったことである。これは解説者に言われるまでもないのであり、誰にだって分るんだよ、デーブ○久保!!特に内野の守りは総崩れと言っても過言ではない。これについて、私は正直言って夢想は語れるが具体的な解決が現有戦力によって直ちにできるとは思えない。夢を語るなら簡単である。我らがロケットボーイズがいきなり完全復活するとか、サードを守っている人がいきなり名手になるとか幾らでも妄想できる。しかし、それは妄想に過ぎない。確かに、守りや小技については練習次第とも考えられるが、前述のようにお金がないのでキャンプができないのであるから練習だって不十分であろう。大体、振り返って思うに、コンバートされた場合を除いて、センスの見られない野手がある時を境に突然名手になると言う例を、私はあまり見たことがない。長い目でうまくなるのを待っているうちに売り飛ばされてしまうのではないか。大体、今の内野陣が全て名手になるなどほとんど不可能である。
今のヤクルトには、最低でも防御率2点台の中継ぎ、抑えの投手を2人以上と、守備にムラのない内野手2人を外部から注入することが必要であり、それでようやく戦えるのではないか?しかし、これにはかなりのお金が必要となるわけで(他にも、トレードと言う手段もあるが、防御率2点台の中継ぎ、抑えの投手など今の野球では青木さんクラスを放出しなければトレードになるまい)、有り体に言って本当にヤクルト再建に必要なのは単にお金なのである。ところが、そのお金がないのであり、ホリエモンにたかられたり、デリバティブで大損害を受けた親会社さん達は資本注入できないと言うのが現状なのである。
では、どのようにすべきなのか?フジテレビもヤクルト本社もお金をくれないのであるから、自分で稼ぐより他にはあるまい。そう思って始めたF-Pojectはまんまと尻つぼみであった。神宮球場とフジテレビ739でしか宣伝しないのだから当たり前である。球場に足を運んでくれるお客さん、フジテレビ739を見ている人々は元々ヤクルトファンなのであり、彼等にのみ宣伝してもしょうがないのである。特に739なんてヤクルトファン以外はオタクしか見ていないのではないか?私は神宮のヤクルト戦を見るためにしょうがなく契約しているが、この年で契約するのが恥ずかしいくらいどうしようもない番組しかやっていない(プロ野球ニュースを除く)。あれで一月1000円も取るのであって、私に言わせれば739などはヤクルトファンの生き血を吸っているのである。と言うわけで、本気でお金を稼ごうと思ったら、F-projectなどのちんけなものをやってもしょうがないのである。
私が思うに、現状のヤクルト球団で唯一お金を生み出すことができるものと言えば、つば九郎しかあるまい。なんてったって”ヤクルトに過ぎたる物が2つあり、青木選手とつば九郎”と言われている?くらいである。キャラの可愛さと言う点では間違いなく十二球団で一番である。私が球団関係者ならば、最初につば九郎を主人公としたアニメ番組を製作し、日曜の午前9時〜11時台に放送してもらうようにフジテレビ本局に掛け合う。時間は5分程度の場つなぎ番組で十分である。内容も野球と関係なくても構わない。むしろ、関係がない方が良い。とにかく、日本中の子供達につば九郎の可愛さをまず、ちゃんと認知させるのである。半年程したら、ちびまるこちゃん、サザエさん、ケロロ軍曹やアンパンマン、ドラえもん等とコラボしてさらに認知を拡大させる。放送権の問題があるがそれはおいといて、できる限り、認知の拡大再生産を行うのである。その後、つば九郎マグカップ、つば九郎文房具などキャラグッズをおもむろに発売し、収入を得る。認知が行き渡ったら、始めて神宮球場でつば九郎ショーを行う。今やってもしょうがないのであり、寂しくなるだけである。これぞ”つば九郎キティちゃん化計画”とも言うべきもので、今どき野球にこだわっていては収入増など期待できないのである。また、このようなことを続けていくうちに、幾ばくかの子供達はヤクルトファンになってくれるかもしれない。
結局のところ、この計画も妄想と人は笑うであろう。しかし、こんな妄想でもしないと最近は夜も眠れないのである。
古田さんの監督としての力量には私自身、なんだかな〜と言う気持ちがある。これについては次回にでも詳しくお話したいと思う。ただ、だから監督を変えたらうまく行くのか?と聞かれるとそんな簡単なものではあるまい。大体、今年の低迷については昨年のオフの段階で十二分に想像が出来たはずである。お金がないという理由で秋季キャンプの人数を減らしていたからである。前代未聞であり、あの近鉄だってしていないのではないか。そんなことをすれば、練習できない以前にモチベーションが保てるはずもなく、結果として弱くなるに決まってるのである。それで古田さんに責任を取れと言うのはあんまりではないか。
私は基本的なスタンスとして、弱くてもいいから、ファンが納得するプレーをしてくれれば十分であると思っている。具体的には、JFKをタコ打ちしろとか、G打線を毎回完封しろとかそんなことは望まない。3連戦は3連敗しなければいいし、最下位になってもまあかまわない。しかし、今年のように勝てる試合を中継ぎ陣の崩壊や守備の乱れによってみすみす落とすと言うのは勘弁してもらいたい。また、このままでは、身売りされるのではないかと言う危惧があり、下手をすれば消滅して球界再編に繋がりかねないと思っている。それだけは何とかして阻止してもらいたいのである。このスタンスの中で私なりの再建論について述べることにする。
すでにCSプロ野球ニュースなどで散々言われているのだが、今年のヤクルトの課題は、戦術的には3つである。第一に中継ぎ、抑えの投手達の崩壊、第二に、守りのミスの多発、第三に小技が下手になったことである。これは解説者に言われるまでもないのであり、誰にだって分るんだよ、デーブ○久保!!特に内野の守りは総崩れと言っても過言ではない。これについて、私は正直言って夢想は語れるが具体的な解決が現有戦力によって直ちにできるとは思えない。夢を語るなら簡単である。我らがロケットボーイズがいきなり完全復活するとか、サードを守っている人がいきなり名手になるとか幾らでも妄想できる。しかし、それは妄想に過ぎない。確かに、守りや小技については練習次第とも考えられるが、前述のようにお金がないのでキャンプができないのであるから練習だって不十分であろう。大体、振り返って思うに、コンバートされた場合を除いて、センスの見られない野手がある時を境に突然名手になると言う例を、私はあまり見たことがない。長い目でうまくなるのを待っているうちに売り飛ばされてしまうのではないか。大体、今の内野陣が全て名手になるなどほとんど不可能である。
今のヤクルトには、最低でも防御率2点台の中継ぎ、抑えの投手を2人以上と、守備にムラのない内野手2人を外部から注入することが必要であり、それでようやく戦えるのではないか?しかし、これにはかなりのお金が必要となるわけで(他にも、トレードと言う手段もあるが、防御率2点台の中継ぎ、抑えの投手など今の野球では青木さんクラスを放出しなければトレードになるまい)、有り体に言って本当にヤクルト再建に必要なのは単にお金なのである。ところが、そのお金がないのであり、ホリエモンにたかられたり、デリバティブで大損害を受けた親会社さん達は資本注入できないと言うのが現状なのである。
では、どのようにすべきなのか?フジテレビもヤクルト本社もお金をくれないのであるから、自分で稼ぐより他にはあるまい。そう思って始めたF-Pojectはまんまと尻つぼみであった。神宮球場とフジテレビ739でしか宣伝しないのだから当たり前である。球場に足を運んでくれるお客さん、フジテレビ739を見ている人々は元々ヤクルトファンなのであり、彼等にのみ宣伝してもしょうがないのである。特に739なんてヤクルトファン以外はオタクしか見ていないのではないか?私は神宮のヤクルト戦を見るためにしょうがなく契約しているが、この年で契約するのが恥ずかしいくらいどうしようもない番組しかやっていない(プロ野球ニュースを除く)。あれで一月1000円も取るのであって、私に言わせれば739などはヤクルトファンの生き血を吸っているのである。と言うわけで、本気でお金を稼ごうと思ったら、F-projectなどのちんけなものをやってもしょうがないのである。
私が思うに、現状のヤクルト球団で唯一お金を生み出すことができるものと言えば、つば九郎しかあるまい。なんてったって”ヤクルトに過ぎたる物が2つあり、青木選手とつば九郎”と言われている?くらいである。キャラの可愛さと言う点では間違いなく十二球団で一番である。私が球団関係者ならば、最初につば九郎を主人公としたアニメ番組を製作し、日曜の午前9時〜11時台に放送してもらうようにフジテレビ本局に掛け合う。時間は5分程度の場つなぎ番組で十分である。内容も野球と関係なくても構わない。むしろ、関係がない方が良い。とにかく、日本中の子供達につば九郎の可愛さをまず、ちゃんと認知させるのである。半年程したら、ちびまるこちゃん、サザエさん、ケロロ軍曹やアンパンマン、ドラえもん等とコラボしてさらに認知を拡大させる。放送権の問題があるがそれはおいといて、できる限り、認知の拡大再生産を行うのである。その後、つば九郎マグカップ、つば九郎文房具などキャラグッズをおもむろに発売し、収入を得る。認知が行き渡ったら、始めて神宮球場でつば九郎ショーを行う。今やってもしょうがないのであり、寂しくなるだけである。これぞ”つば九郎キティちゃん化計画”とも言うべきもので、今どき野球にこだわっていては収入増など期待できないのである。また、このようなことを続けていくうちに、幾ばくかの子供達はヤクルトファンになってくれるかもしれない。
結局のところ、この計画も妄想と人は笑うであろう。しかし、こんな妄想でもしないと最近は夜も眠れないのである。
阪神タイガースも昔はマイナーだったのに、のこと その3
現在、リアルタイムで我がスワローズは中日さんにいいようにゴハンになっている。とてもではないが見続けることができないので、ここで気を紛らわしたい。
さて、前回は江川事件によって東京でもようやく阪神タイガースが認知されてきたと言うことをお話した。今回はその後、私の知る限りで中央マスコミによって阪神球団及び阪神ファンがどのような扱いを受け、またその中で東京で増殖していったかについてお話していきたい。この項は、不確定要素が多々あり、あくまでも私が体験したこと、その中で私が感じたことであることを最初に強調しておきたい。
前回お話したように、79年以降阪神ファンは少しだけ東京でも見られるようになった。奇妙なことに、私の記憶では、そのころから、テレビや新聞で阪神について取り上げられるようになった。とは言っても、主にそれは阪神選手の方々の容姿に関することであった。”阪神顔”と言うのは田舎臭い顔の事であり、”阪神部屋”と言うのは選手の恰幅が良いことを揶揄した事である。ほとんどの東京の野球ファンには、阪神の選手など巨人戦の時にちょっと見ることができる程度であり、かつ、そのころのテレビではディテールまで確認するのは難しいので、こうした言葉は簡単に受け入れられた。今になって思えば、多少悪意が込められた報道であったように思える。
上記の話は私の邪推かも知れない。しかし、次に述べることは多少の真実を含んでいると信じている。私の高校は、茗荷谷と言う駅が最寄り駅であった。その隣は後楽園という駅である。当時、巨人の本拠地はこの後楽園におかれており、クラブ活動で遅くなった時などにはナイター帰りの人々と同じ電車に乗り込むこととなった。今も昔も変わらず、ナイター帰りの人々は興奮しており、車内で迷惑行為を行うこともしばしばであった。当時の私の日記には、巨人ファンが車内で大声で騒ぐ、ケンカをすると言ったことが十数回書かれている。しかし、これらの出来事は、翌日の新聞には全く取り上げられていない。ある時には、中日ファンを数人で電車内でボコボコにしていたにも関わらずである。一方、阪神ファンが車内で騒いでいたことは一回しか書かれていない。これは、車内で六甲おろしを十数人で歌い、これを注意した乗客に悪態をついたと言うものである。別に暴力を振るったわけではないのだが、不思議なことに、その一回はまんまと新聞沙汰となっていた。明らかにこれは阪神に対するネガティブキャンペーンであるのではないか。現在、阪神ファンが凶暴であるという印象はこの時代の報道が大きいと思うからである。
誤解していただきたくないのだが、私は別に阪神ファンに比べて巨人ファンがより凶暴であったと言いたいのではない。ここで言いたいのは、当時のマスコミが情報操作を行っていたように思えるということである。私が見てきた限り、確かに球団によってファン気質というものは違う。阪神ファンは確かに神宮球場内その他において、他球団のファンとは異なる奇行を示す場合があるし、私自身も不愉快な経験は多々してきた。しかし、それはロッテファンでも、中日ファンでもその他球団でも特有の奇行を見せると言う点では同じである。このようなファンごとの奇行については回を改めてゆっくり述べたいと思っている。ただ、私の40年以上の経験の中では、ある特定の球団のファンが球場外でより凶暴であるということはなかった。
さて、問題は、このようなネガティブキャンペーンが誰によって為されたのか、ということなのだが、別に読売グループが率先して報道したわけではなかった。そうであれば、陰謀説として話は面白くなるのだが、残念である。阪神に対する揶揄、阪神ファンが凶暴であることを印象付ける報道、そうしたものは大手のマスコミ各社がそれぞれに行ってきた。なぜか?結局のところ、これは東京人達の関西に対する根強い蔑視感情に迎合していたのではないだろうか。
思い返してみるに、80年代初めには、東京でも阪神ファンはそこそこ見られるようになっていたが、今よりは全然少なかった。おまけに、上記のマスコミ報道の影響が大きく、阪神ファンの事を凶暴な電波系であると捉える人達が沢山いた。これが、激変したのは、85年をちょっと遡るころであろう。なぜ、この時期にいきなり増えたのか?私の84年の日記には、近所の子供達の帽子がタイガースになっていると記されている。私の当時小学生のいとこも84年に阪神ファンとなった。なぜかと聞くと、関西がかっこいいと言う。なぜ関西がかっこいいのかとさらに聞くと、”ひょうきん族”が面白いからだと言う。クラスでもずいぶんと阪神ファンが多いと言う。なんとお笑い番組が野球ファンを作っていたのである。
時を同じくして、関西が大挙して東京に出現した。経済の国内ボーダーレスが顕在化したのである。近所にお好み焼き屋が出来た。始めて入った時、どうやってお好み焼きを作るのかわからなかった記憶がある。透明なうどんの汁が出現した。テレビをつけても今までやすきよくらいしか話さなかった関西弁を結構聞くようになった。とうとう関西人が近所に引っ越してきた。彼等は決して東京弁を話さなかった。子供は関西弁ではないが、東京弁でもない標準語というやつを話し始めた。子供達はもちろん親譲りの阪神ファンであった。
85年になると、さらに加速した。言うまでもなく、破壊力抜群の猛虎打線が一世を風靡したからである。子供達の半分が巨人を見捨てた。神宮などあっという間に黄色くなる程、阪神ファンは増殖した。
つまるところ、私の感覚では、関西のお笑い文化の認知、国内の経済のボーダーレス化、そして85年の阪神快進撃が時をほぼ同じくして起こったことが阪神にとってラッキーであった。この中のどれか一つでも欠ければ、ファンの急増はそれ程大きなものではなかったのではないか。
不思議なことに、一旦阪神ファンになると、なぜか簡単には寝返らない。どんなに弱くても応援し続けるのである。阪神と言うチームや阪神ファン集団と言うものが持つ、人の心に対する磁力の大きさは驚嘆する。まるで、砂場の砂鉄を残らずくっつけていく磁石のようなこの球心性はまた別の機会にお話したい。
さて、前回は江川事件によって東京でもようやく阪神タイガースが認知されてきたと言うことをお話した。今回はその後、私の知る限りで中央マスコミによって阪神球団及び阪神ファンがどのような扱いを受け、またその中で東京で増殖していったかについてお話していきたい。この項は、不確定要素が多々あり、あくまでも私が体験したこと、その中で私が感じたことであることを最初に強調しておきたい。
前回お話したように、79年以降阪神ファンは少しだけ東京でも見られるようになった。奇妙なことに、私の記憶では、そのころから、テレビや新聞で阪神について取り上げられるようになった。とは言っても、主にそれは阪神選手の方々の容姿に関することであった。”阪神顔”と言うのは田舎臭い顔の事であり、”阪神部屋”と言うのは選手の恰幅が良いことを揶揄した事である。ほとんどの東京の野球ファンには、阪神の選手など巨人戦の時にちょっと見ることができる程度であり、かつ、そのころのテレビではディテールまで確認するのは難しいので、こうした言葉は簡単に受け入れられた。今になって思えば、多少悪意が込められた報道であったように思える。
上記の話は私の邪推かも知れない。しかし、次に述べることは多少の真実を含んでいると信じている。私の高校は、茗荷谷と言う駅が最寄り駅であった。その隣は後楽園という駅である。当時、巨人の本拠地はこの後楽園におかれており、クラブ活動で遅くなった時などにはナイター帰りの人々と同じ電車に乗り込むこととなった。今も昔も変わらず、ナイター帰りの人々は興奮しており、車内で迷惑行為を行うこともしばしばであった。当時の私の日記には、巨人ファンが車内で大声で騒ぐ、ケンカをすると言ったことが十数回書かれている。しかし、これらの出来事は、翌日の新聞には全く取り上げられていない。ある時には、中日ファンを数人で電車内でボコボコにしていたにも関わらずである。一方、阪神ファンが車内で騒いでいたことは一回しか書かれていない。これは、車内で六甲おろしを十数人で歌い、これを注意した乗客に悪態をついたと言うものである。別に暴力を振るったわけではないのだが、不思議なことに、その一回はまんまと新聞沙汰となっていた。明らかにこれは阪神に対するネガティブキャンペーンであるのではないか。現在、阪神ファンが凶暴であるという印象はこの時代の報道が大きいと思うからである。
誤解していただきたくないのだが、私は別に阪神ファンに比べて巨人ファンがより凶暴であったと言いたいのではない。ここで言いたいのは、当時のマスコミが情報操作を行っていたように思えるということである。私が見てきた限り、確かに球団によってファン気質というものは違う。阪神ファンは確かに神宮球場内その他において、他球団のファンとは異なる奇行を示す場合があるし、私自身も不愉快な経験は多々してきた。しかし、それはロッテファンでも、中日ファンでもその他球団でも特有の奇行を見せると言う点では同じである。このようなファンごとの奇行については回を改めてゆっくり述べたいと思っている。ただ、私の40年以上の経験の中では、ある特定の球団のファンが球場外でより凶暴であるということはなかった。
さて、問題は、このようなネガティブキャンペーンが誰によって為されたのか、ということなのだが、別に読売グループが率先して報道したわけではなかった。そうであれば、陰謀説として話は面白くなるのだが、残念である。阪神に対する揶揄、阪神ファンが凶暴であることを印象付ける報道、そうしたものは大手のマスコミ各社がそれぞれに行ってきた。なぜか?結局のところ、これは東京人達の関西に対する根強い蔑視感情に迎合していたのではないだろうか。
思い返してみるに、80年代初めには、東京でも阪神ファンはそこそこ見られるようになっていたが、今よりは全然少なかった。おまけに、上記のマスコミ報道の影響が大きく、阪神ファンの事を凶暴な電波系であると捉える人達が沢山いた。これが、激変したのは、85年をちょっと遡るころであろう。なぜ、この時期にいきなり増えたのか?私の84年の日記には、近所の子供達の帽子がタイガースになっていると記されている。私の当時小学生のいとこも84年に阪神ファンとなった。なぜかと聞くと、関西がかっこいいと言う。なぜ関西がかっこいいのかとさらに聞くと、”ひょうきん族”が面白いからだと言う。クラスでもずいぶんと阪神ファンが多いと言う。なんとお笑い番組が野球ファンを作っていたのである。
時を同じくして、関西が大挙して東京に出現した。経済の国内ボーダーレスが顕在化したのである。近所にお好み焼き屋が出来た。始めて入った時、どうやってお好み焼きを作るのかわからなかった記憶がある。透明なうどんの汁が出現した。テレビをつけても今までやすきよくらいしか話さなかった関西弁を結構聞くようになった。とうとう関西人が近所に引っ越してきた。彼等は決して東京弁を話さなかった。子供は関西弁ではないが、東京弁でもない標準語というやつを話し始めた。子供達はもちろん親譲りの阪神ファンであった。
85年になると、さらに加速した。言うまでもなく、破壊力抜群の猛虎打線が一世を風靡したからである。子供達の半分が巨人を見捨てた。神宮などあっという間に黄色くなる程、阪神ファンは増殖した。
つまるところ、私の感覚では、関西のお笑い文化の認知、国内の経済のボーダーレス化、そして85年の阪神快進撃が時をほぼ同じくして起こったことが阪神にとってラッキーであった。この中のどれか一つでも欠ければ、ファンの急増はそれ程大きなものではなかったのではないか。
不思議なことに、一旦阪神ファンになると、なぜか簡単には寝返らない。どんなに弱くても応援し続けるのである。阪神と言うチームや阪神ファン集団と言うものが持つ、人の心に対する磁力の大きさは驚嘆する。まるで、砂場の砂鉄を残らずくっつけていく磁石のようなこの球心性はまた別の機会にお話したい。
阪神タイガースも昔はマイナーだったのに、のこと その2
今週は今日までグライジンガーさん、石井さんと頑張ってくださり、最下位脱出を果たすことができている。今日は難敵黒田さんが予想されるけれども、たぶん台風のおかげで試合は中止になるだろうから、この3連戦はよい形で締めくくれるのではないか。これで、グライジンガーさんが残留を明言してくれれば万々歳なのであるが、どうも雲行きは怪しそうである。
さて、前回は甲子園でちょろく3連敗であった悔しさから阪神ファンも昔はマイナーだったと負け惜しみを垂れ流したのではあるが、中途半端に終わってしまったのでその続きを書きたい。
前回お話ししたように、オヤジにとっては”ちょっと前”で片付けられる70年代まで、東京では阪神というのはまるっきりマイナーな存在であった。この流れが最初に変わったのは78年オフの”江川事件”からである。この詳細はそれこそ東京に生息するカラスの個体数と同じくらいの人がすでに述べているのでここでは記さないが、特筆すべきはメディアが初めて巨人を攻撃したことであった。もちろん、あの事件は今に至るまで変わらない巨人の体質、勝つために手段を選ばないという卑怯さの現われであった。ただ、江川事件以前だって巨人は卑怯なことをどっさりやってきた。しかし、江川事件以前はそのようなことは少なくとも表面的には叩かれなかった。巨人は紳士の球団であり、野球選手はみんな巨人に入りたがるのが当然であり、ドラフトだってトレードだって全て巨人の行うことは正義だったのである。しかし、江川事件の際は違った。日本中が狂ったように江川さんを非難した。確かにあれは狂気に近かったと思う。江川さんの何気ない一言までことごとく批判の種となった。江川さんを嫌いというだけで、悪人も正義の人となった。あるいは、悪人でさえ、江川さんを嫌うということでますます江川さんを攻撃した。今の政治家に対する攻撃に似ているが、もっと苛烈であった。今になって思うに、江川事件というのは、当時江川さん及び巨人攻撃の急先鋒であった革新系である朝日新聞グループの保守系の読売グループにしかけた攻撃という側面があり、人々はその仕掛けにまんまと乗ったように見える。読売新聞の不買運動が起こり、読売の発行部数は減少した。朝日はこれが成功したことに味を占め、現在まで同じ方法、すなわち、小さな咎を報道によって増幅していく、を用いているように思える。
さて、江川事件によって巨人のダーティーさが明るみになったが、これと阪神人気にどのように直結したのか?東京人たちは巨人がダーティーだから嫌いになったか?そうではなかった。当初は親から習った”巨人はダーティーだから嫌い”という言葉をオウムのように唱えていた子供たちも、一年後には巨人ファンに戻った。政治面で何度となく発揮される東京人の保守的志向は単にダーティーであるだけではなかなか崩れない。むしろ、トレードされたのがたまたま小林さんだったという要素が強かった。当時、小林さんは少なくとも、子供たちの間で最も人気のある選手であったからである。それまでは阪神という球団自体ろくすっぽ知らなかった子供でもみんな阪神の存在を知った。小林さんを応援するあまり、阪神ファンになる子供たちもちょっとづつ増えてきた。それまで1クラスに1人いるかいないかであった阪神ファンの子供の数がクラスあたり4〜5人程度に増えてきた。江戸っ子の親たちも、もはやそれを止めることはできなかった。仮に、時系列をちょっと無視するが、江川さんのトレード相手として堀内さんや西本さん(彼らは実力的には小林さんと同等以上であろうが、子供たちに人気があまりなかった)ならば、阪神ファンへの流出はもっと全然少なかったと思われる。
江川さんと小林さんのトレードは結局、戦力的には巨人の大もうけであった。江川さんは80年代の先発3本柱として中心戦力となった。一方、小林さんは79年を除けば、それほど活躍はできなかった。しかし、長期営業的には、巨人は大損害であった。お膝元の東京でも確実に何割かのファンを減少させた。不思議なことに江川事件で失った当時の少年ファンのほとんどは、どんなに月日が流れても再び巨人には戻らず、自らの子供たちを阪神ファンとして再生産を始めた。
次回は、さらに阪神ファンが激増していく様子を述べていきたいと思う。
さて、前回は甲子園でちょろく3連敗であった悔しさから阪神ファンも昔はマイナーだったと負け惜しみを垂れ流したのではあるが、中途半端に終わってしまったのでその続きを書きたい。
前回お話ししたように、オヤジにとっては”ちょっと前”で片付けられる70年代まで、東京では阪神というのはまるっきりマイナーな存在であった。この流れが最初に変わったのは78年オフの”江川事件”からである。この詳細はそれこそ東京に生息するカラスの個体数と同じくらいの人がすでに述べているのでここでは記さないが、特筆すべきはメディアが初めて巨人を攻撃したことであった。もちろん、あの事件は今に至るまで変わらない巨人の体質、勝つために手段を選ばないという卑怯さの現われであった。ただ、江川事件以前だって巨人は卑怯なことをどっさりやってきた。しかし、江川事件以前はそのようなことは少なくとも表面的には叩かれなかった。巨人は紳士の球団であり、野球選手はみんな巨人に入りたがるのが当然であり、ドラフトだってトレードだって全て巨人の行うことは正義だったのである。しかし、江川事件の際は違った。日本中が狂ったように江川さんを非難した。確かにあれは狂気に近かったと思う。江川さんの何気ない一言までことごとく批判の種となった。江川さんを嫌いというだけで、悪人も正義の人となった。あるいは、悪人でさえ、江川さんを嫌うということでますます江川さんを攻撃した。今の政治家に対する攻撃に似ているが、もっと苛烈であった。今になって思うに、江川事件というのは、当時江川さん及び巨人攻撃の急先鋒であった革新系である朝日新聞グループの保守系の読売グループにしかけた攻撃という側面があり、人々はその仕掛けにまんまと乗ったように見える。読売新聞の不買運動が起こり、読売の発行部数は減少した。朝日はこれが成功したことに味を占め、現在まで同じ方法、すなわち、小さな咎を報道によって増幅していく、を用いているように思える。
さて、江川事件によって巨人のダーティーさが明るみになったが、これと阪神人気にどのように直結したのか?東京人たちは巨人がダーティーだから嫌いになったか?そうではなかった。当初は親から習った”巨人はダーティーだから嫌い”という言葉をオウムのように唱えていた子供たちも、一年後には巨人ファンに戻った。政治面で何度となく発揮される東京人の保守的志向は単にダーティーであるだけではなかなか崩れない。むしろ、トレードされたのがたまたま小林さんだったという要素が強かった。当時、小林さんは少なくとも、子供たちの間で最も人気のある選手であったからである。それまでは阪神という球団自体ろくすっぽ知らなかった子供でもみんな阪神の存在を知った。小林さんを応援するあまり、阪神ファンになる子供たちもちょっとづつ増えてきた。それまで1クラスに1人いるかいないかであった阪神ファンの子供の数がクラスあたり4〜5人程度に増えてきた。江戸っ子の親たちも、もはやそれを止めることはできなかった。仮に、時系列をちょっと無視するが、江川さんのトレード相手として堀内さんや西本さん(彼らは実力的には小林さんと同等以上であろうが、子供たちに人気があまりなかった)ならば、阪神ファンへの流出はもっと全然少なかったと思われる。
江川さんと小林さんのトレードは結局、戦力的には巨人の大もうけであった。江川さんは80年代の先発3本柱として中心戦力となった。一方、小林さんは79年を除けば、それほど活躍はできなかった。しかし、長期営業的には、巨人は大損害であった。お膝元の東京でも確実に何割かのファンを減少させた。不思議なことに江川事件で失った当時の少年ファンのほとんどは、どんなに月日が流れても再び巨人には戻らず、自らの子供たちを阪神ファンとして再生産を始めた。
次回は、さらに阪神ファンが激増していく様子を述べていきたいと思う。
阪神タイガースも昔はマイナーだったのに、のこと
甲子園の3連戦は”いつものパターン”で予定調和的に3連敗であった。日曜日の試合のみ勝機があったようにも思うが、多くは語るまい。甲子園の大声援の中で館山さんが踏ん張りきれなかったのが残念ではあるが、元々度胸がないのであり、人間簡単に変われるものではないのである。
それにしても阪神ファンというのはどっさりいるとつくづく思う。甲子園は言うに及ばず、我が神宮でも阪神戦は大入りである。お客さんはみんな黄色と黒でまるで蜜蜂の巣である。昔はこんなでもなかったのになあ。
少なくとも、60〜70年代の東京では、阪神など遠い国の球団であった。村山さん、江夏さん、田淵さんといった名前はまれに耳にするものの、全然実感のわかない方々であった。そもそもマスコミでまったく取り上げられなかった。出会う機会があまりにも少ないので、存在しないも同然なのである。おまけに関西の球団というだけで論ずるに足らないという風潮があった。私の兄が何を血迷ったか、夕飯時に”阪神ファンになる”と宣言したことがあった。その際、野球にまったく興味のない父が”お前、あれは関西の球団だぞ”と一言言った。兄はそれで沈黙した。これは我が家だけの出来事ではなかった。私の同級生たちでも阪神に寝返ろうとしたはねっかえりたちは、次々と同じ言葉で沈没していったのである。
大体からして、今では想像もつかないであろうが、そのころの東京人には関西に対する侮蔑意識が強かった。関西の男は、みんな口先だけで、つるまないと何もできず、つるんだらむやみに凶暴になり、いざとなったら臆病で、利にだけは聡く、目的のためには手段を選ばないという卑怯さを持ち合わせていることになっていた。漫画の”いなかっぺ大将”に出てくる西一はまさにステレオタイプだったのである。また、女性はみんな小太りで、性格は水飴のようにべたっとしていて、下品にきんきらきんな装飾を好み、オギャアと生まれたときからすでにおばさんになっていることになっていた。
私が高校生のとき、修学旅行には京都、大阪に行くのが定番であったが、通天閣の近くはニューヨークのハーレムのごとき評価であった。良識のある人は近寄ってはいけないのである。標準語を話すだけで周囲から凶暴な関西人が襲い掛かってくると信じられていた。そうした際には勇敢な江戸っ子はあわてず騒がず、ポケットから小銭をばら撒く。すると下品な関西人はそれをあわてて拾うのでその隙に叩きのめすことになっていた。今考えれば、これもちょっと卑怯な気がするが、とにかくそう信じられていた。そのような偏見が隅々まで行きわたっていたので、進学の際には京都大学など不当に低い扱いを受けていた。フォッサマグナの向こうの大学を選ぶのはよほどの変わり者であったのである。このような無知で傲慢で、でも私にとってはちょっと愛すべき江戸っ子達はバブル景気と情報の発達によって滅ぼされた。今では痕跡も見ることはできまい。
話が大幅にずれまくったが、とにかく阪神タイガースなど70年代までは東京では歯牙にもかけられていなかったのである。いつからこんなに人気球団になったのか、それについては次回に述べることとする。
それにしても阪神ファンというのはどっさりいるとつくづく思う。甲子園は言うに及ばず、我が神宮でも阪神戦は大入りである。お客さんはみんな黄色と黒でまるで蜜蜂の巣である。昔はこんなでもなかったのになあ。
少なくとも、60〜70年代の東京では、阪神など遠い国の球団であった。村山さん、江夏さん、田淵さんといった名前はまれに耳にするものの、全然実感のわかない方々であった。そもそもマスコミでまったく取り上げられなかった。出会う機会があまりにも少ないので、存在しないも同然なのである。おまけに関西の球団というだけで論ずるに足らないという風潮があった。私の兄が何を血迷ったか、夕飯時に”阪神ファンになる”と宣言したことがあった。その際、野球にまったく興味のない父が”お前、あれは関西の球団だぞ”と一言言った。兄はそれで沈黙した。これは我が家だけの出来事ではなかった。私の同級生たちでも阪神に寝返ろうとしたはねっかえりたちは、次々と同じ言葉で沈没していったのである。
大体からして、今では想像もつかないであろうが、そのころの東京人には関西に対する侮蔑意識が強かった。関西の男は、みんな口先だけで、つるまないと何もできず、つるんだらむやみに凶暴になり、いざとなったら臆病で、利にだけは聡く、目的のためには手段を選ばないという卑怯さを持ち合わせていることになっていた。漫画の”いなかっぺ大将”に出てくる西一はまさにステレオタイプだったのである。また、女性はみんな小太りで、性格は水飴のようにべたっとしていて、下品にきんきらきんな装飾を好み、オギャアと生まれたときからすでにおばさんになっていることになっていた。
私が高校生のとき、修学旅行には京都、大阪に行くのが定番であったが、通天閣の近くはニューヨークのハーレムのごとき評価であった。良識のある人は近寄ってはいけないのである。標準語を話すだけで周囲から凶暴な関西人が襲い掛かってくると信じられていた。そうした際には勇敢な江戸っ子はあわてず騒がず、ポケットから小銭をばら撒く。すると下品な関西人はそれをあわてて拾うのでその隙に叩きのめすことになっていた。今考えれば、これもちょっと卑怯な気がするが、とにかくそう信じられていた。そのような偏見が隅々まで行きわたっていたので、進学の際には京都大学など不当に低い扱いを受けていた。フォッサマグナの向こうの大学を選ぶのはよほどの変わり者であったのである。このような無知で傲慢で、でも私にとってはちょっと愛すべき江戸っ子達はバブル景気と情報の発達によって滅ぼされた。今では痕跡も見ることはできまい。
話が大幅にずれまくったが、とにかく阪神タイガースなど70年代までは東京では歯牙にもかけられていなかったのである。いつからこんなに人気球団になったのか、それについては次回に述べることとする。
東京ヤクルトファンは今だって結構幸せ、なこと
明るい話題があれば書き始めようと思っていたが、そんなことを言っていたらいつまで経っても始められないので、しょうがないなと書き始める。
この一週間は札幌の巨人戦では暴投で負け、グライジンガーさんを見殺しにし、甲子園では予定調和的に連敗といいところがなーんにもないのだけれども、オールドファンはこんな程度では全然へこたれない。なぜへこたれないのか、昔を振り返れば御理解いただけると思う。
私が野球を見始めたころ、大体からして”東京ヤクルト”なんて物は存在しなかった。サンケイアトムズと呼ばれていた。アトムズと言うのは鉄腕アトムから取ったものである。いかにも弱そうな名前の通り、実際、とんでもなく弱かった。世間では巨人、大鵬、卵焼きが強いものの筆頭で、アトムズなどはやられるために存在していた。少なくとも世間はそう看做していた。ほどなく身売りされ、虫プロが倒産し、上の名前も下の名前も変わってしまった。”ヤクルトスワローズ”と言うのは出来た時から夢や希望と無縁だったのである。
当時、子供はみんな”巨人の星”を見ていた。その中で、花形は阪神、左門は大洋、オズマは中日とライバル達は配分されていたのだが、うちのチームには誰も来なかった。マンガにまで黙殺されていたのである。
それだけならまだしも、当時のオーナーは実は巨人ファンであると言ううわさが絶えなかった。私は事の真偽を確かめたことはなかったが、巨人の10連覇を中日が阻んだ時、当時のヤクルトオーナーが”なぜもっと巨人に負けなかったのだ!”と監督を叱ったと言うのである。なんと悲しいことであるか。
人気が余りにもないので、スタンドもいつもがらがらであった。私が高校の時、みんなで文化祭の準備を神宮球場で行ったが、全然問題はなかった。十数人の高校生が内野席で騒いでも誰の迷惑にもならないのである。
最下位が定位置であったうちのチームにも昭和50年代になると転機が訪れる。広岡監督の就任である。この体制で始めて優勝をすることが出来た。ファンはちょっと嬉しかった。でも”ちょっと”である。なぜか?
優勝した際、ヤクルト本社は優勝祝賀として銀座でヤクルトを配った。それだけである。余りのみみっちさに周囲の巨人ファンはヤクルトとなぜか私を散々罵倒した。テレビでは、”ヤクルトおめでとう”の論調の中に”余計なことをしやがって”というスパイスを込めた報道をされた。巨人が優勝した方がマスコミは嬉しいのである。広岡監督は”巨人の野球”をヤクルトに根付かせたというコメントを発表した。なんと有り難い発言であるか。ヤクルトは未開の蛮族で、巨人と言う文明を与えてくださったと言うのだ。これだけの仕打ちを受ければ、いっぱいは喜べないのである。
結局、ヤクルトという球団が本当に世間に認められるのは野村監督の時代からなのであり、これはオールドファンからするとつい最近なのである。今はどうであろう、別に巨人の植民地でもなく、球場にはそこそこお客さんが入り、勝っても非難されることもあるまい。テレビでもフジテレビ739が完全中継してくれるし、スワローズTVもあるわけで、これは結構幸せなことではあるまいか?
もしも、最後にちょっと、ほんのちょっとした希望を言っても良いならば、
いつになったら生き返るんだよ、ロケットボーイズ!!
この一週間は札幌の巨人戦では暴投で負け、グライジンガーさんを見殺しにし、甲子園では予定調和的に連敗といいところがなーんにもないのだけれども、オールドファンはこんな程度では全然へこたれない。なぜへこたれないのか、昔を振り返れば御理解いただけると思う。
私が野球を見始めたころ、大体からして”東京ヤクルト”なんて物は存在しなかった。サンケイアトムズと呼ばれていた。アトムズと言うのは鉄腕アトムから取ったものである。いかにも弱そうな名前の通り、実際、とんでもなく弱かった。世間では巨人、大鵬、卵焼きが強いものの筆頭で、アトムズなどはやられるために存在していた。少なくとも世間はそう看做していた。ほどなく身売りされ、虫プロが倒産し、上の名前も下の名前も変わってしまった。”ヤクルトスワローズ”と言うのは出来た時から夢や希望と無縁だったのである。
当時、子供はみんな”巨人の星”を見ていた。その中で、花形は阪神、左門は大洋、オズマは中日とライバル達は配分されていたのだが、うちのチームには誰も来なかった。マンガにまで黙殺されていたのである。
それだけならまだしも、当時のオーナーは実は巨人ファンであると言ううわさが絶えなかった。私は事の真偽を確かめたことはなかったが、巨人の10連覇を中日が阻んだ時、当時のヤクルトオーナーが”なぜもっと巨人に負けなかったのだ!”と監督を叱ったと言うのである。なんと悲しいことであるか。
人気が余りにもないので、スタンドもいつもがらがらであった。私が高校の時、みんなで文化祭の準備を神宮球場で行ったが、全然問題はなかった。十数人の高校生が内野席で騒いでも誰の迷惑にもならないのである。
最下位が定位置であったうちのチームにも昭和50年代になると転機が訪れる。広岡監督の就任である。この体制で始めて優勝をすることが出来た。ファンはちょっと嬉しかった。でも”ちょっと”である。なぜか?
優勝した際、ヤクルト本社は優勝祝賀として銀座でヤクルトを配った。それだけである。余りのみみっちさに周囲の巨人ファンはヤクルトとなぜか私を散々罵倒した。テレビでは、”ヤクルトおめでとう”の論調の中に”余計なことをしやがって”というスパイスを込めた報道をされた。巨人が優勝した方がマスコミは嬉しいのである。広岡監督は”巨人の野球”をヤクルトに根付かせたというコメントを発表した。なんと有り難い発言であるか。ヤクルトは未開の蛮族で、巨人と言う文明を与えてくださったと言うのだ。これだけの仕打ちを受ければ、いっぱいは喜べないのである。
結局、ヤクルトという球団が本当に世間に認められるのは野村監督の時代からなのであり、これはオールドファンからするとつい最近なのである。今はどうであろう、別に巨人の植民地でもなく、球場にはそこそこお客さんが入り、勝っても非難されることもあるまい。テレビでもフジテレビ739が完全中継してくれるし、スワローズTVもあるわけで、これは結構幸せなことではあるまいか?
もしも、最後にちょっと、ほんのちょっとした希望を言っても良いならば、
いつになったら生き返るんだよ、ロケットボーイズ!!
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